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正覚坊
しょうかくぼう
作品ID42634
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄童話集」 海鳥社
1990(平成2)年11月27日
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-07-18 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 正覚坊というのは、海にいる大きな亀のことです。地引網を引く時に、どうかするとこの亀が網にはいってくることがあります。すると漁夫達は、それを正覚坊がかかったと言って大騒ぎをします。正覚坊が網にかかるときっと大漁がある、と言われているのです。漁夫達は皆集まって正覚坊をとり巻き、近所の家から酒をたくさん取り寄せて、それを正覚坊に飲ませます。正覚坊は酒が好きです。頭が赤くなるほど酒のごちそうになって、それから海に放されます。うれしそうに頭を打ち振りながら、波の上を沖の方へ泳いで行きます。漁夫達はその姿を見送って、残りの酒を皆で飲みながら、大漁節というおもしろい歌を歌ったりなんかして、次の大漁を祝います。
 そういう正覚坊について、おもしろい話があります。
 ある海岸の漁夫村に、平助という一人者の漁夫がありました。昔は沖遠くまで漁に出たりなんかして、強いたくましい若者でしたが、家族の者はみんな死んでしまい、ひとりっきりで年は取りますし、後には、岸辺の小魚や川の魚などを取って、その日その日を送っていました。そしてこの平助は、酒が大変好きでした。いくら飲んでも酔ったことがありませんでした。あまり飲むと身体にさわるよと人に言われても、彼は平気でした。酔うから身体にさわるので、俺のように酔ったためしのない者はいくら飲んでも大丈夫だ、と彼はいつも言っていました。始終貧乏をしながら、少しお金があると酒ばかり飲んでいました。村の人達は彼のことを、正覚坊だとあだなしていました。
 ひどい暴風雨の晩でした。平助はいつものように徳利を前にすえて、ひとりつまらなそうに酒を飲んでいました。すると、表の戸をことりことり叩くものがあります。初めは風の音かと思っていましたが、それが何度も続くものですから、平助も少し気になりました。彼は杯を前に置いて、表の方をふり返りながらたずねました。
「誰だい?」
 何の返事もありませんでした。耳をすますと、風と雨との音に交じって、やはりことりことりと戸を叩いています。
「何か用事かね」と平助はまたたずねました。
 それでも返事がありませんでした。しまいに平助は、仕方なしに立ち上がって、表の戸を開いてみました。さっと風と雨とが吹き込んで来たかと思うまに、闇の中から、まっ黒な大きなものが、のそりのそりとはい込んできました。平助は腰をぬかさんばかりに驚きました。よく見ると、それは畳半分ほどもある大きな正覚坊でした。
 正覚坊だとわかると、平助は初めてあんどしました。いきなり表の戸をしめて、正覚坊を部屋の中に連れて来ました。正覚坊はそこにぐったりとなって、喉元をふくらましながら、はあはあと息をきらしてるらしいのです。
「おい、どうしたんだい」と平助はたずねました。
 正覚坊はじっとしています。いくらたずねても黙っています。それもそのはずです、亀に口がきけるわけはあり…

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