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琵琶伝
びわでん
作品ID4265
著者泉 鏡花
文字遣い新字新仮名
底本 「泉鏡花集成2」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年4月24日
初出「国民之友」1896(明治29)年1月
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2006-08-08 / 2014-09-18
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 新婦が、床杯をなさんとて、座敷より休息の室に開きける時、介添の婦人はふとその顔を見て驚きぬ。
 面貌ほとんど生色なく、今にも僵れんずばかりなるが、ものに激したる状なるにぞ、介添は心許なげに、つい居て着換を捧げながら、
「もし、御気分でもお悪いのじゃございませんか。」
 と声を密めてそと問いぬ。
 新婦は凄冷なる瞳を転じて、介添を顧みつ。
「何。」
 とばかり簡単に言捨てたるまま、身さえ眼をさえ動かさで、一心ただ思うことあるその一方を見詰めつつ、衣を換うるも、帯を緊むるも、衣紋を直すも、褄を揃うるも、皆他の手に打任せつ。
 尋常ならぬ新婦の気色を危みたる介添の、何かは知らずおどおどしながら、
「こちらへ。」
 と謂うに任せ、渠は少しも躊躇わで、静々と歩を廊下に運びて、やがて寝室に伴われぬ。
 床にはハヤ良人ありて、新婦の来るを待ちおれり。渠は名を近藤重隆と謂う陸軍の尉官なり。式は別に謂わざるべし、媒妁の妻退き、介添の婦人皆罷出つ。
 ただ二人、閨の上に相対し、新婦は屹と身体を固めて、端然として坐したるまま、まおもてに良人の面を瞻りて、打解けたる状毫もなく、はた恥らえる風情も無かりき。
 尉官は腕を拱きて、こもまた和ぎたる体あらず、ほとんど五分時ばかりの間、互に眼と眼を見合せしが、遂に良人まず粛びたる声にて、
「お通。」
 とばかり呼懸けつ。
 新婦の名はお通ならむ。
 呼ばるるに応えて、
「はい。」
 とのみ。渠は判然とものいえり。
 尉官は太く苛立つ胸を、強いて落着けたらんごとき、沈める、力ある音調もて、
「汝、よく娶たな。」
 お通は少しも口籠らで、
「どうも仕方がございません。」
 尉官はしばらく黙しけるが、ややその声を高うせり。
「おい、謙三郎はどうした。」
「息災で居ります。」
「よく、汝、別れることが出来たな。」
「詮方がないからです。」
「なぜ、詮方がない。うむ。」
 お通はこれが答をせで、懐中に手を差入れて一通の書を取出し、良人の前に繰広げて、両手を膝に正してき。尉官は右手を差伸し、身近に行燈を引寄せつつ、眼を定めて読みおろしぬ。
 文字は蓋し左のごときものにてありし。
お通に申残し参らせ候、御身と近藤重隆殿とは許婚に有之候
然るに御身は殊の外彼の人を忌嫌い候様子、拙者の眼に相見え候えば、女ながらも其由のいい聞け難くて、臨終の際まで黙し候
さ候えども、一旦親戚の儀を約束いたし候えば、義理堅かりし重隆殿の先人に対し面目なく、今さら変替相成らず候あわれ犠牲となりて拙者の名のために彼の人に身を任せ申さるべく、斯の遺言を認め候時の拙者が心中の苦痛を以て、御身に謝罪いたし候
      月 日
清川通知
     お通殿
 二度三度繰返して、尉官は容を更めたり。
「通、吾は良人だぞ。」
 お通は聞きて両手を支えぬ。
「はい、貴下の妻…

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