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一つの愛情
ひとつのあいじょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第五巻(小説Ⅴ・戯曲)」 未来社
1966(昭和41)年11月15日
初出「新小説」1949(昭和24)年4月
入力者tatsuki
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2006-11-05 / 2014-09-18
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文学者のところには、未知の人々から、いろいろな手紙が舞い込んでくる。威勢よく投げこまれた飛礫のようなのもあれば、微風に運ばれてくる花の香のようなのもある。それらが、文学者自身の心境の如何によって、さまざまの作用をする。だが、返事を出すも出さぬも、それは彼の自由である。知らない人から突然もらった手紙だから、黙殺しても応答しても、一向に構わないわけだ。大抵の場合は返事を書かないらしいが、時によっては心やさしい返事を書くこともあるらしい。
 文学者吉岡信一郎のところへ、或る時、美しい文字の手紙が届いた。彼はもう五十歳近くになっていて、たくさんの小説を書いてきたが、近来、なんとなく気力の衰えを自覚し小説もあまり書けず、人生、というよりも人間が嫌になり、ひいては自分自身にも嫌気がさし、うらぶれた気持ちに沈んで、酒ばかり飲んでいた。突然舞い込んで来た美しい文字の手紙も、いいかげんに読んで、打ち捨てておいたが、あとで、なにか心にかかるものを感じて、ゆっくり読みなおしてみたのである。

 お暑さ容易に去りませぬ候、吉岡先生には御機嫌うるわしく御消光遊ばされましょうか。私事、身の程もかえりみませず、ぶしつけにもお手紙など差上げます愚かさを、どのようにか無礼とお怒り遊ばしましょう。
 この世で一番おえらいと思い申上げております先生、御写真を朝夕眺めましては、いつの間にかひとりで、夢にでもよい、お言葉を頂ける身になれたらなどと、とりとめもない心に、只そればかりをはかない生き甲斐として、胸の奥深くに抱き続けてまいりました。
 私は何もわからない人生の門出に於て、もはや健全な健康を失ってしまいました。それがどのように悲惨なことか。死にも死にきれぬ、生きも生ききれぬ、苦しい苦しい懊悩に、人知れず血の涙を流してまいりました。
 肉体のわずかな重荷にも堪えきれぬ、心のわずかな苦痛にも堪えきれぬ、虫のように、白痴のように、何もなし得ぬ我身の不甲斐なさを、どのように辱と忍従で受け味わねばならぬことでございましょう。愚かしくゆがみちぢんだ哀れな魂を、自覚すればするほど、私はこの世の人の群から我身を後退さしてまいりました。
 田舎にひとり住み、人に交わる心もなく、己ひとりにとじこもっておりますと、孤独は人の身のさすがに堪え難く、さりとて世間に交わる煩わしさは更に堪え難く、物狂おしい思いに、いっそ果知れぬ空虚の底に我身を打沈めてしまいたい衝動にかられます。月を眺め、空吹く風を愛し、お琴や三絃にうさをまぎらそうと致しましても、深い深いうつろ心の救い難さを、どうすることが出来ましょう。人も自然も、ゆがみ縮んだ小さな魂を決して受入れてはくれませぬ。
 愛もない、才能もない、生きる何のめあてさえない。
 土に這う虫にさえ、生きる自覚はあろうものを、虫より劣った愚かしい無能な人間が、この世に生きる何の意味が…

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