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あめ
作品ID42689
著者織田 作之助
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文学全集72 織田作之助 井上友一郎集」 集英社
1975(昭和50)年3月8日
初出「海風」1938(昭和13)年11月
入力者土屋隆
校正者米田
公開 / 更新2011-12-07 / 2014-09-16
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 子供のときから何かといえば跣足になりたがった。冬でも足袋をはかず、夏はむろん、洗濯などするときは決っていそいそと下駄をぬいだ。共同水道場の漆喰の上を跣足のままペタペタと踏んで、ああええ気持やわ。それが年ごろになっても止まぬので、無口な父親もさすがに冷えるぜエと、たしなめたが、聴かなんだ。
 蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉しんだ。
 また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふきでている裸にざあッと水が降りかかって、ピチピチと弾みきった肢態が妖しく顫えながら、すくッと立った。官能がうずくのだった。何度も浴びた。「五へんも六ぺんも水かけまんねん。ええ気持やわ」と、後年夫の軽部に言ったら、若い軽部は顔をしかめた。

 そんなお君が軽部と結婚したのは十八の時だった。軽部は大阪天王寺第×小学校の教員、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取りいるためだった。下寺町の広沢八助に入門し、校長の相弟子たる光栄に浴していた。なお校長の驥尾に附して、日本橋五丁目の裏長屋に住む浄瑠璃本写本師、毛利金助に稽古本を註文したりなどした。

 お君は金助のひとり娘だった。金助は朝起きぬけから夜おそくまで背中をまるめてこつこつと浄瑠璃の文句を写しているだけが能の、古ぼけた障子のようにひっそりした無気力な男だった。女房はまるで縫物をするために生れてきたような女で、いつ見ても薄暗い奥の間にぺたりと坐りこんで針を運ばせていた。糖尿病をわずらってお君の十六の時に死んだ。
 女手がなくなって、お君は早くから一人前の大人並みに家の切りまわしをした。炊事、縫物、借金取の断り、その他写本を得意先に届ける役目もした。若い見習弟子がひとりいたけれど、薄ぼんやりで役にもたたず、邪魔になるというより、むしろ哀れだった。

 お君が上本町九丁目の軽部の下宿先へ写本を届けに行くと、二十八の軽部はぎょろりとした眼をみはった。裾から二寸も足が覗いている短い着物をお君は着て、だから軽部は思わず眼をそらした。女は出世のさまたげ。熱っぽいお君の臭いにむせながら、日ごろの持論にしがみついた。しかし、三度目にお君が来たとき、
「本に間違いないか今ちょっと調べてみるよってな。そこで待っとりや」
 と、座蒲団をすすめておいて、写本をひらき、
「あと見送りて政岡が……」
 ちらちらお君を盗見していたが、しだいに声もふるえてきて、生つばを呑みこみ、
「ながす涙の水こぼし……」
 いきなり、霜焼けした赤い手を掴んだ。声も立てぬのが、軽部には不気味だった。その時のことを、あとでお君が、
「なんやこう、眼エの前がぱッと明うなったり、真黒けになったりして、あんたの顔こって牛みたいに大けな顔に見えた」
 と言って、軽部にいやな想いをさせたことがある。軽部は小柄なわ…

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