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言語と道具
げんごとどうぐ
作品ID42698
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第五巻」 岩波書店
1997(平成9)年4月4日
初出「理学界 第廿一巻第五号」1923(大正12)年5月1日
入力者Nana ohbe
校正者浅原庸子
公開 / 更新2005-06-06 / 2016-02-25
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人間というものが始めてこの世界に現出したのはいつ頃であったか分らないが、進化論に従えば、ともかくも猿のような動物からだんだんに変化して来たものであるらしい。しかしその進化の如何なる段階以後を人間と名づけてよいか、これも六かしい問題であろう。ある人は言語の有無をもって人間と動物との区別の標識としたら宜いだろうと云い、またある人は道具あるいは器具の使用の有無を準拠とするのが適当だろうという。私にはどちらが宜いか分らない。しかしこの言語と道具という二つのものを、人間の始原と結び付けると同様に、これを科学というものあるいは一般に「学」と名づけるものの始原と結び付けて考えてみるのも一種の興味があると思う。
 言語といえども、ある時代に急に一時に出来上がったものとは思われない。おそらく初めはただ単純な叫び声あるいはそれの連続であったものが、だんだんに複雑になって来たものに相違ない。あるいは自然界の雑多な音響を真似てそれをもってその発音源を代表させる符号として使ったり、あるいはある動作に伴う努力の結果として自然に発する音声をもってその動作を代表させた事もあろう。いずれにしても、こういう風にしてある定まった声が「言葉」として成立したという事は、もうそこに「学」というものの芽生えが出来た事を意味する。例えば吾人が今日云う意味での「石」という言葉が出来たとする。これは既に自然界の万象の中からあるものが選び出され抽象されて、一つのいわゆる「類概念」が構成された事を意味する。同様に石を切る、木を切るというような雑多な動作の中から共通なものが抽象されて、そこに「切る」という動詞が出来、また同様にして「堅い」というような形容詞が生れる。これらの言葉の内容はもはや箇々の物件を離れて、それぞれ一つの「学」の種子になっている。
 こういう事が出来るというのが、大きな不思議である。
 一体これらの言葉あるいはそれに相当する抽象的な概念は自然その物に内存していて、われわれはただ自然の中からそれを掘り出しまたは拾い出しさえすれば宜いものであろうか。それともまたこのようなものを作りあげるに必要な秩序や理法が人間の方に備わっているので、われわれはただ自己の内にある理法の鏡に映る限りにおいて自己以外と称するものを認めるのであろうか。これは六かしい問題である。そして科学者にとっても深く考えてみなければならない問題である。しかしここでこの問題に立入ろうというのではない。
 ともかくも言語があるという事は知識の存在を予定する。そしてそれがある程度の普遍性をもつものでなければならない。そうでなければ、人々は口々に饒舌っていても世界は癲狂院かバベルの塔のようなものである。
 共通な言葉によって知識が交換され伝播されそれが多数の共有財産となる。そうして学問の資料が蓄積される。
 このような知識は、それだけでは云わ…

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