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在学理由
ざいがくりゆう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「日本評論」1938(昭和13)年12月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-07-08 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       一

 某私立大学の法学部で植民政策の講義を担任してる矢杉は、或る時、その学校で発行されてる大学新聞の座談会に出席したが、座談会も終り、暫く雑談が続き、もう散会という間際になって、まだ嘗て受けたことのない質問を一人の学生から提出された。植民地に於ける言語というようなことが話題になってた後であるが言語から文章へとんで、現在日本の新聞や雑誌に掲載されてる多くの文章のなかで、句読点、即ちマルやテンが、ひどく軽視されてるような観があるが、それでよいものであろうか、それとも句読点はさほど重要なものではないのであろうか、と、そういう質問なのである。
 矢杉はとっさに明答もなしかね、いい加減な返事をしていると、相手の学生は、更に問題を明瞭にしてきた。――自分は半島生れの者であって、日本語にはかなり習熟したつもりでおり饒舌ることには自信を持っているが、文章を書くとなると、どうしても格調が出て来ない。そこで、文章の格調を獲得するのは、句読点を自由に駆使することに在ると考えついて、いくらかその方面で自得するところがあった。然るに、文学者の書いたものなどを読んでも、句読点の重大なこと、謂わばそれぞれの句読点は一つの文字以上の重量を持ってるということが、殆んど誰からも考えられていないような現状である。これはどういうことであろうか……云々。
 そうなると、矢杉は益々即答が出来かねるのであったが、その問題よりも、相手が半島生れの学生だということの方に心を惹かれて、その風貌を見守った。矢杉がこれまで識ってる半島生れの学生には、骨の角立ったそして鈍重な感じのする風貌の者が多く、中にごく僅か、白皙明敏だという感じの風貌の者があったが、今の相手の学生は、その少数な後者の一人で、而も、どこかとぼけたような微笑さえ浮べているのであった。
 その微笑の影に、矢杉はこちらも微笑で応じて、句読点の問題は自分にもよく分らないから文学者にでも聞いたがよかろうと、率直に答えた。それから話は、西洋文には句読点のみならず種々の意味を持つ記号が多くあるのに、日本文や諺文や漢文にそれらの記号が少いのは、どういうわけだろうかとの疑問にとび、矢杉の知人で、創作もやれば翻訳もやってる吉村なんか、文字の誤植よりも句読点の誤植の方がよほど気になると平素云っていることなどが、もちだされた。そして吉村の意見でも聞いてみないかというようなことから、矢杉は相手の学生の名前の李永泰というのを知り、また更にその顔を眺めたのだった。
 李永泰という名前は、矢杉の記憶の中にあった。数ヶ月前、植民政策についての学年末の試験の答案を見ているうち、注意を惹かれた一葉が、李永泰のそれだったのである。一体、学生の答案のうち、短くて汚いのは拙劣で、長くて綺麗なのは優良であって、而も不思議に、短いのは汚く、長いのは綺麗である。然るに李永泰のは…

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