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塩花
しおばな
作品ID42720
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「世界」1946(昭和21)年2月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2007-12-20 / 2014-09-21
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 爪の先を、鑢で丹念にみがきながら、山口専次郎は快心の微笑を浮かべた。
 ――盲目的に恋する者はいざ知らず、意識的に恋をする者は……。
 この、意識的に恋をするという自覚が、なにか誇らしいものと感ぜられたのである。そして今や、それにふさわしいだけの身づくろいが出来上りつつあった。
 手の爪をみがくのが終りである。足の爪はもうきれいにつんであった。顔はきれいに剃られて、香りのよいクリームが皮膚にすりこまれていた。頭髪は昨日洗われたばかりで、櫛の歯が目立たぬようにとかされていた。髪を分けるのは気障であり櫛の歯の跡を残すのは野暮であって、長髪をふうわりとそして自然らしくとかすのが現代的技巧であった。
 ――なりふり構わずに女を想いつめる、そんな青年をよく見かけるが、それはただ性慾の奴隷にすぎない。真の恋をする者、つまり、精神と肉体との一如の恋をする者には、それにふさわしいだけの身だしなみがあるべき筈だ。風呂には、少くとも三日に一度ははいる。頭髪は、少くとも一週に一度は洗う。髯は、少くとも隔日に剃る。爪はいつも、長すぎず短かすぎず、そして決して垢を止めない。頸筋はもとより、特に耳朶を、きれいにしておく。鼻毛と指先のささくれ、これが何より禁物である。そういう身だしなみを、恋する者は当然に持たなければならない。なぜなら、恋は精神の美しさを要求し、その表現たる身体の清潔さを要求するからだ。当事者にとって、恋はすべて美しく清く、恋人はすべて美しく清く、随って恋する者自身も、美しく清くあらねばならぬ。醜く穢れた者の恋愛などは、自家撞着の甚しいものだ。もっとも、敗戦と衣食住窮乏と栄養不足とのこの時代には、多少の……。
 多少の……例外は、彼自身にもあった。殊に、身だしなみとは何の関係もない生れつきの方面のことは、どうにも仕方がなかった。彼の手の甲の静脈は、三十五歳の年齢にしては余りに太すぎて、酒を飲んだり昂奮したりする時には、盛り上った網の目を拵えた。それから、横額の皮膚に、ごく薄くではあるが、点々と汚点があって、余りにととのって何等の特長もない顔立だっただけに、よけいに目立った。それら二つのことについて、彼は、栄養による手の甲の肉附と、栄養による額の皮膚の色艶、つまりは栄養に、救済を求めていたのである。だが、それほどの栄養を摂取することは出来なかった。彼はさほど富裕ではなかったし、また倹約家でもあった。
 この二つの例外が、彼の気分にちょっと陰翳を投じた。なぜなら、その二つがまた、彼と彼の恋人たる彼女とを隔てるものでもあったのである。美しい手指と、顔の表情の特殊な美しさとを、彼女は持っていた。
 彼が吉村氏を久しぶりに訪問した時、彼女がそこに来ていた。室にはいると、吉村氏と彼女とが同時に彼の方へ向けた眼色の動きで、彼は自分のことが二人の口にのぼせられたのを知った。理由はすぐ腑…

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