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聖女人像
せいにょにんぞう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「群像」1947(昭和22)年11月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-02-29 / 2014-09-21
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 深々と、然し霧のように軽く、闇のたれこめている夜……月の光りは固よりなく、星の光りも定かならず、晴曇さえも分からず、そよとの風もなく、木々の葉もみなうなだれ眠っている……そういう真夜中に、はっきりと人の気配のすることがある。どこかで、ガラガラと雨戸を繰る音がする。ただそれきり。どこかで、数音の人声がする。ただそれきり。どこかで、廊下を歩く足音がする。ただそれきり。それきりだが、それ故にまた、深夜の中にくっきりと浮き出るのだ。
 私の夢もそれに似ている。茫漠たる眠りの中に、瞬間の形象がくっきりと浮き出す。――海岸の深い淵のなか、水面から僅かにのぞき出てる、苔むした滑らかな巌の上に、誰かがじっとしがみついている。――幾抱えもある巨木の根本に、何を為すでもなく、何を見るでもなく、永遠の彫刻のように、誰かが静かに佇んでいる――。荒野の中を、誰かが歩いている。片方は底知れぬ深い断崖である。もし覗きこめば、視線と共に体まで底へ引きずりこまされそうだ。危い。ただ歩いている。――誰かが呪文のようなことを唱える……大凶と大吉との交叉する一刻だ。悪魔になりたいか、神になりたいか。息をひそめよ、息をひそめよ。
 そういう種類の夢を、私はしばしばみる。昼となく夜となく、昏迷に似た眠りのなかに、それらの形象が明瞭に浮き出し、それらを、或は眠りながら、或は眼覚めながら……私は見戌るのである……遂にいずこかへ消え失せてしまうまで。
 私は病気らしい。寝つくというほどではないが、常に寝床を敷かして、気の向くままに起きたり寝たり、ぶらぶらしている。普通の通念による病気かどうか、実はそれがまだはっきりしないのだ。――一ヶ月あまり雨の一滴もなく、異常な炎熱が続いた、その暑気あたりかも知れない。そういう暑中に、過度の精神労働をした、その疲労かも知れない。多忙なあまり、手当り次第に飲んだ酒類の中の、メチールアルコールが体内に蓄積した、その作用かも知れない。或は、体のいずこかにひそかに巣くってる細菌か、内臓のいずれかの人知れぬ故障か、脳髄の一部分の組織の変質か、そういうものに依るのかも知れない。いや、それらのいずれでもなかろう。恐らくはそれらすべての総合だろう。だから私は医者に診て貰わないのである。明瞭な一定の疾患ではないのだ。むしろ、それは私にとっては休養なのだ。休養が病識らしいものに転化したのかも知れない。仕事が一段落ついてから取った休暇が、心身の緊張を一時に弛緩さしたのだとも言える。
 長い炎熱のあと、遂に雷雨が来た。大したものではなく、その後に豪雨を得て大地は初めて蘇ったのだが、その時は然しほっと息がつけた。雷鳴と電光を伴いながら、沛然と降ってからりと霽れるのではなく、じわじわと降った。四五十分後には細雨となった。縁側の先端の軒先に、高く伸びた夾竹桃の数本がある。その根本すれすれに、軒の屁か…

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