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土地に還る
とちにかえる
作品ID42740
副題――近代説話――
――きんだいせつわ――
著者豊島 与志雄
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「不明」1947(昭和22)年12月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-02-29 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 東京空襲の末期に、笠井直吉は罹災して、所有物を殆んど焼かれてしまいました上、顔面から頭部へかけて大火傷をしました。そして暫く病院にはいっていましたが、退院後は、郵便局勤務の同僚の家に寄寓して、引き続き郵便局に勤めました。
 彼の火傷は大きな痕跡を残しました。額から頬へかけて、顔の左半面、皮膚が引きつり、その中央に、打撲の跡があり、耳がちぢれ、耳の後ろに太い禿げがありました。それから、左眼の瞼がひどく損傷して、全くあかんべえの眼になっていました。むくれ上った瞼の裏側がいやに赤く、むき出しの大きな目玉がいやに白く、両方相俟ってぎょろりとして、物の底まで見通すかと思われるような眼差しでした。――その火傷の跡は、現代の外科医術を以てすれば、或る程度の修復は出来るそうでありましたが、手術を受けるほどの余裕は、あらゆる点で、笠井直吉にはありませんでした。戦争の焼印として、彼はそれを自分の肉体の上にじっと負いました。
 この火傷の跡に対して、殊にあかんべえの眼に対して、人々が取る三つの態度に、笠井直吉は気付きました。或る人々は、なにか珍らしい物でも発見したかのように、それをじっと眺めました。次に或る人々は、それを一目見て、すぐに視線をそらしました。次に或る人々は、それがそこにあることを知っていて、見ない先から眼をそむけました。
 そういうことによって、笠井直吉は、自分が特異な存在であることを感じました。そして謙遜な彼は、自分のその特異さを、なるべく人目につかないところへ後退させようとしました。郵便局では、彼は奥の事務を執っていましたが、窓口の方には、そこがどんな状態であろうと、決して近づかないことにしました。日常は、なるべく出歩かないことにしました。その代り、これは自己卑下の気持ちからして、配給物の受け取りなどには、隣組のために進んで出かけました。
 彼が好んで身を置くところ、というよりは寧ろ、好んで身を隠すところは、焼け跡の耕作地でした。終戦の年から翌年へかけて、食糧の窮迫と食糧危機の予想とにより、至る所にある焼け跡は、奪い合うようにして耕作されました。蟻が巣のまわりに餌をあさり歩くように、焼け残りの人家の聚落から四方へ耕作の手が延ばされました。その中で彼は、立ち後れながらも、あちこちに耕作地を占拠しました。地主や借地者にもわたりをつけました。そして彼の畑地は、最もよく耕されたものの一つとなりました。ただ、彼の農耕は、食糧を得るのが目的ではなく、謂わば内心の憂悶の吐け口だったのです。
 彼は時間に充分の余裕がありました。郵便局は所謂三番勤務で、日勤の日は終日ですが、次の宿直の日は午後四時から出ればよろしいし、次の宿明の日は午前九時から退出してきました。日勤の日にも、月に二回は閣令休暇があり、十日に一回は特別休暇がありました。それ故、殆んどいつも耕作に出られるのでした。…

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