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猫捨坂
ねこすてざか
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「豊島与志雄著作集 第四巻(小説Ⅳ)」 未来社
1965(昭和40)年6月25日
初出「新文学」1948(昭和23)年12月
入力者tatsuki
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-03-04 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 病院の裏手に、狭い急な坂がある。一方はコンクリートの塀で、坂上の塀外には数本の椎が深々と茂っている。他方は高い崖地で、コンクリートで築きあげられ、病院の研究室になっている。坂の中央に、幅二尺ほどの御影石が敷いてあり、そこが人間の通路で、両側には雑草が生え、石炭灰や塵芥がつもり、陶器の破片が散らばっている。全体が陰湿な感じだ。仔猫や病み猫などがしばしば捨てられている。坂の名は何というのか分らず、恐らく名もないのであろう。俗に猫捨坂と呼ぶ人もある。
 この猫捨坂の、病院側の一帯が、戦争中の空襲に焼けてしまった。本建築の病室の一廓が残っただけで、木造の附属建物や附近の民家など、すべて焼けてしまった。そのため、猫捨坂は多少とも明るくなる筈だったが、却って妖気が深まった。
 病院側の崖は、二段に築き上げられている。中段は四尺ばかりの広さで、坂の上方から平らに崖地をめぐり、そして上段は焼け跡の広場である。その中段の中ほどに、一種の洞窟があり、上段から見れば地下室となっている。鉄格子に磨硝子の扉が立てきってあるが、硝子は焼け壊れ、扉全体がぐらぐらだ。そこに焼けトタンを押し当て、針金で縛ってある。トタンの隙間から覗けば、洞窟内は、上方の出入口から明るみがさしている。金魚屋に見られるような四角な池があり、その中に、死体が堆積しているのだ。黒焦げに干乾びてる胴体、皮膚が焼け爛れてる頭蓋骨、ばらばらになってる肋骨、折れ曲ってる四肢、所々に、腕や脛がにゅっと突き立っている。アルコールのタンクに火がはいって、浮いていた多くの死体が、じりじり焼かれながらのたうった有様が、そこに再現してるのだ。異様な臭気が漂っている。別の室にも一つのタンクがあり、分厚な蓋がかぶさっている。恐らくそこには、アルコールの中に、幾つだかの死体がぶかぶか浮いてることであろう。
 その陰惨な光景を、誰かが覗き見て、噂が立った。わざわざ見に行く者もあった。然し、空襲に常時さらされてることとて、誰も我が身の明日のことさえ保証出来ず、病院の死体貯蔵場の焼け跡など、大した印象は与えなかった。
 終戦になってから、その死体貯蔵場には、外から覗けないように古板の囲いがされた。が逆に、附近の人々の頭には、その内部のことが蘇ってきた。もう覗き見も出来ないので、嘗ての噂が一層誇張して想像された。元来が人通りも少なかった猫捨坂は、夜分など、ますます通行人が少なくなった。
 坂下の或る門灯の光りが、ぼんやり見えてるきりで、坂全体が薄暗い。洞窟内の異様な臭気が、ふっと洩れてくるらしいこともある。ばかりでなく、焼け爛れた死体の髑髏や肋骨や腕や脛が、ふらりとさ迷い出てくるのだ。
 坂は急で、通路の御影石の敷石はすべすべである。或る晩、荒物屋のお上さんが、転んで、足首を挫いた。
 噂によれば、お上さんが坂を下りていると、どこからともなく声が…

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