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風は草木にささやいた
かぜはくさきにささやいた
作品ID42754
副題01 風は草木にささやいた
01 かぜはくさきにささやいた
著者山村 暮鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集 54 千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集」 講談社
1966(昭和41)年8月19日
入力者土屋隆
校正者田中敬三
公開 / 更新2009-05-05 / 2014-09-21
長さの目安約 63 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

  此の書を祖國のひとびとにおくる


  なんぢはなんぢの面に汗して生くべし

  人間の勝利

人間はみな苦んでゐる
何がそんなに君達をくるしめるのか
しつかりしろ
人間の強さにあれ
人間の強さに生きろ
くるしいか
くるしめ
それがわれわれを立派にする
みろ山頂の松の古木を
その梢が烈風を切つてゐるところを
その音の痛痛しさ
その音が人間を力づける
人間の肉に喰ひいるその音のいみじさ
何が君達をくるしめるのか
自分も斯うしてくるしんでゐるのだ
くるしみを喜べ
人間の強さに立て
耻辱を知れ
そして倒れる時がきたらば
ほほゑんでたふれろ
人間の強さをみせて倒れろ
一切をありのままにじつと凝視めて
大木のやうに倒れろ
これでもか
これでもかと
重いくるしみ
重いのが何であるか
息絶えるとも否と言へ
頑固であれ
それでこそ人間だ

  自序

 自分は人間である。故に此等の詩はいふまでもなく人間の詩である。
 自分は人間の力を信ずる。力! 此の信念の表現されたものが此等の詩である。
 自分は此等の詩の作者である。作者として此等の詩のことをおもへば其處には憂鬱にして意地惡き暴風雨ののちに起るあの高いさつぱりした黎明の蒼天をあふぐにひとしい感覺が烈しくも鋭く研がれる。實にそれこそ生みのくるしみであつた。
 生みのくるしみ! 此のくるしみから自分は新たに日に日にうまれる。伸び出る。此のくるしみは其上、強い大膽なプロメトイスの力を自分に指ざした。遠い世界のはてまで手をさしのべて創世以來、人間といふ人間の辛棒づよくも探し求めてゐたものは何であつたか。自分はそれを知つた。おお此のよろこび! 自分はそれをひつ掴んだ。どんなことがあつても、もうはなしてやるものか。

 苦痛は美である! そして力は! 力の子どもばかりが藝術で、詩である。

 或る日、自分は癲癇的發作のために打倒された。それは一昨々年の初冬落葉の頃であつた。而もその翌朝の自分はおそろしい一種の靜穩を肉心にみながら既に、はや以前の自分ではなかつた。
 それほど自分の苦悶は精神上の殘酷な事件であつた。
 此等の詩は爾後つい最近、突然咯血して病床に横はつたまでの足掛け三ヶ年間に渉る自分のまづしい收穫で且つ蘇生した人間の靈魂のさけびである。
 一莖の草といへども大地に根ざしてゐる。そしてものの凡ゆる愛と匂とに眞實をこめた自分の詩は汎く豐富にしてかぎりなき深さにある自然をその背景乃至内容とする。そこからでてきたのだ、譬へばおやへびの臍を噛みやぶつて自ら生れてきたのだと自分の友のいふその蝮の子のやうに。
 自分は言明しておく。信仰の上よりいへば自分は一個の基督者である。而も世の所謂それらの人人はそれが佛陀の歸依者に對してよりどんなに異つてゐるか。それはそれとして此等の詩の中には神神とか人間の神とかいふ字句がある。神神と言ふ場…

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