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変災序記
へんさいじょき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「貢太郎見聞録」 中公文庫、中央公論社
1982(昭和57)年6月10日
入力者鈴木厚司
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2003-09-01 / 2014-09-17
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 大正十二年九月一日の朝は、数日来の驟雨模様の空が暴風雨の空に変って、魔鳥の翅のような奇怪な容をした雲が飛んでいたが、すぐ雨になって私の住んでいる茗荷谷の谷間を掻き消そうとでもするように降って来た。私は平生のように起きて、子供たちと一緒に朝飯を喫い、それから二階へあがって机に向ったが、前夜の宿酔のために仕事をする気になれないので、籐の寝椅子によっかかりながら、ガラス越しに裏崖の草藪の方を見た。漆の木、淡竹、虎杖、姫日向葵の葉、そうした木草の枝葉が強い風に掻きまわされ、白い縄のような雨水に洗われて物凄かった。
 その日はいわゆる二百十日の前日であった。室の中には南風気の生温い熱気が籠って気味が悪かった。私はもう戸外を見るのも厭になったので、そのまま眼を閉じて前夜の酒の席のことなどを考えていた。馬場孤蝶翁が銀婚式をやる年に当り、初孫も生れ、それで全集も出ることになったので、門下知友がその祝いをやるとともに、記念文集の出版の挙となり、私もその委員の一人に選まれたので、その日五六人の委員と孤蝶翁の家に集まって、文壇の各方面に原稿の寄稿依頼の手簡を出したが、終って夕飯を喫うことになり、江戸川端の「橋本」という鰻屋に往ったところで、若い鼻眼鏡の委員の一人が興に乗って、ビールのカップや猪口に歯を当てて噛み砕いて酒をあおった。私はその友人の紅い唇などを思い浮べて独りで笑い心地になっていたが、急に四辺がひっそりとなったので、不思議に思って眼を開けた。うす暗かった家の内が明るくなって、草藪の上に陽の光が射していた。私は起きあがって表に向いた方の雨戸を開けた。
 磨きをかけたような藍色の空にうす鼠色の雲が動いていて、暑い陽の光が風に吹きちぎられたようにぎらぎらと漂っていた。私の家の玄関口からは二三十間も前になった街路に面した総門越しに眼をやると、街路の向う側の藤寺の墓地の樹木が微風に揉まれていた。その樹木の中には欅があり、向う隣の二階家の屋根の上に見える一本の白楊は、葛の葉のような白い裏葉を見せていた。その二階家の向うは総門の左側の角になって、木造の青ペンキ塗りの古いシナ人の下宿があった。墓地の樹木は崖の上の樹木に続いて、その間に一軒の高い窓の家は下宿屋であった。下宿屋の上の家並は大塚の電車通りに沿うた人家で、総門の右側には雑貨店をやっている小学校の校長の住んでいる二階家があって、その向うには墓地の続きになった所に建った大きな建物の簷が僅かに見えていた。それは奈良県の寄宿舎であった。寄宿舎の右寄りの上にも二軒の二階家が涼しそうな顔を見せていた。
 それはもう十一時を過ぎていた。私は胃の勢いであろう物が喫いたくなったので、早い昼飯をこしらえさしてそれを喫い、裏崖に向った窓の下に据えた机の前に往って、泉筆を持って書きさしの原稿紙に三四字書いたところで、家内があがって来て来客を知らした…

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