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通俗作家 荷風
つうぞくさっか かふう
副題――『問はず語り』を中心として――
――『とわずがたり』をちゅうしんとして――
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 04」 筑摩書房
1998(平成10)年5月22日
初出「日本読書新聞 第三五八号」1946(昭和21)年9月1日
入力者tatsuki
校正者宮元淳一
公開 / 更新2006-06-22 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「問はず語り」は話が好都合にできすぎてゐる。主人公の老画家が松子(女中)と関係を結ぶと気附かれぬうちに妻君の辰子が急病で死んで、それも深い感謝をさゝげて死んでしまふ。
 荷風においては女中との関係が辰子に知られることによつて始まる人間関係や人間性への追求が問題にならないのである。淪落のどん底から拾ひあげて一生愛していたゞいたと死に当つていひ足りぬ感謝をのこした辰子が、然し、もし松子との関係を知つてゐたならどうであるか、といふことは荷風の問題とはならないのである。
 荷風のあらゆる作品において、この根本的な欠陥を見出すことができる。「つゆのあとさき」においては、淫蕩な文士清岡進の妻君の鶴子は良人の性癖にあいそを搗かして職を得て国外へ去るのであるが、要するに荷風の作中人物は良人とか妻君の不貞に気附けば諦めて去るとか死ぬとか、そこから何らの関係の発展、淪落の身を以ての探究といふものが行はれてこない。
「問はず語り」においても後篇において老画家は妻君の連れ子の雪江と関係を結ぶが、その淫蕩に諦める如くたゞ田舎へ去り、雪江の情夫の音楽家また呆れて逃避して老画家と田舎で落合ふなどと馬鹿げたことばかり、人倫の発展を身を以て究めやうとする根本的な作家精神が欠如してゐる。だから松子との関係が辰子に知られたところで、荷風の場合は実際は大したことにはならないので、諦めて去るか、死ぬか、それだけのこと、分りきつてはゐる。
 私が荷風を根柢的に通俗と断じ文学者に非ずと言をなしたのはこの意味であつて、筆を執る彼の態度の根本に「如何に生くべきか」が欠けてをり、媚態を画くに当つて人の子の宿命に身を以て嘆くことも身を以て溺れることも身を以てより良く生きんとすることもない。単なる戯作の筆と通俗な諦観のみではないか。
 稀れに不貞に対する憎しみが現れゝば、それは「つゆのあとさき」の清岡進が手先に言ひふくめて女の袂を切らせたり女の押入れへ猫を投げこんだり、そんな厭がらせだけのこと、又、人間関係の葛藤めくものが多少とも現はれゝば「腕くらべ」の海坊主との金と向ふ意気の張合ひぐらゐのことで終つて、関係や摩擦や葛藤を人間性の根柢から考究し独自な生き方を見出さうとする努力は本質的に欠如してゐる。

          ★

 元々荷風といふ人は、凡そ文学者たるの内省をもたぬ人で、江戸前のたゞのいなせな老爺と同じく極めて幼稚に我のみ高しと信じわが趣味に非ざるものを低しと見る甚だ厭味な通人だ。彼は「[#挿絵]東綺譚」に於て現代人を罵倒して自己の優越を争ふことを悪徳と見、人よりも先じて名を売り、富をつくらうとする努力を罵り、人を押しのけて我を通さうとする行ひを憎み呪つてゐるのである。
 荷風は生れながらにして生家の多少の名誉と小金を持つてゐた人であつた。そしてその彼の境遇が他によつて脅かされることを憎む心情が彼のモ…

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