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女体
にょたい
作品ID42894
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 04」 筑摩書房
1998(平成10)年5月22日初版第1刷
初出「文藝春秋 第二四巻第七号」1946(昭和21)年9月1日
入力者tatsuki
校正者深津辰男・美智子
公開 / 更新2009-07-06 / 2014-09-21
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 岡本は谷村夫妻の絵の先生であつた。元々素行のをさまらぬ人ではあつたが、年と共に放埒はつのる一方で、五十をすぎて狂態であつた。
 谷村夫妻の結婚後、岡本は名声も衰へ生活的に谷村にたよることも多かつたので、金銭のこと、隠した女のこと、子供のこと、それまでは知らなかつたり、横から眺めてゐたにすぎないことを、内部に深く厭でも立入らねばならなかつた。
 岡本は己れの生活苦が芸術自体の宿命であるやうに言つた。そして己れを蔑むことは芸術自体を蔑むことに外ならぬといふ態度言辞をほのめかした。けれども彼の人生の目的が官能の快楽だけで、遠く芸術を離れたことは否み得ないと思はれた。若い頃はともかく気骨も品位もあつたと谷村は思つた。今はたゞ金を借りだすための作意と狡るさ、芸術を看板にするだけ悪どさが身にしみた。
 谷村は苦々しく思つてゐたが、その無心にはつとめて応じてやるやうに心掛け、小さな反感はつゝしむ方がよいと思つた。自分がこの年まで生きてきた小さな環境は、自分にとつてはかけがへのないものであるから、人の評価の規準と別に小さく穏やかにまもり通して行くことは自分の「分」といふものだと思つてゐた。その「分」を乗り越えて生きる道を探求するほど非凡でもなく、芯から情熱的でもない。そして小さな反感をとりのぞけば、岡本の狂態にも愛すべきものは多々あつた。
 ところが、ある日のこと、虫のゐどころのせゐで、柄にもなく、岡本に面罵を加へてしまつた。面罵といふほどのことではないが、なるべく自分の胸にしまつて漏らさぬやうにと心掛けてゐたことをさらけだしてしまつたもので、つとめて身辺の平穏を愛す谷村には、自分ながら意外であつた。
 彼は言つた。先生は理解せられざる天才をもつて自ら任じていらつしやる。ところが僕一存の感じで申すと、先生御自身そのお言葉を信じてをられるやうでもありませんね。知られざる天才は知られざる傑作を書く必要がありますが、先生は知られざる傑作を書く情熱や野心よりも、知られざる官能の満足が人生の目的のやうだ。先生は僕たちに対して御自分のデカダンスは芸術自体の欲求する宿命のやうに仰有る。さすれば僕たちが芸術への献金をはゞみ得ないと甘く見てゐられるやうです。ところが世間は存外甘くないやうです。なるほど世間は往々天才を見落しますが、それは天才の場合のことで、先生ぐらゐの中級、二流程度の才能に対して世間が誤算することもなく、かりに誤算し見落してもたかゞ二流のざらにある才能の一つにすぎないではありませんか。先生も以前は一かどの盛名を得て、つまり知られざる天才ではなく、才能の処を得てゐられたやうです。今日、なぜ名声が衰へ、世に忘れられたか。画境深遠となつて凡愚の出入を締出したせゐですか。ところが世間の凡俗どもは先生の画境の方が芸術から締出されたと評してゐます。僕も亦凡俗の一人ですからそれ以上には見…

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