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欲望について
よくぼうについて
作品ID42895
副題――プレヴォとラクロ――
――プレヴォとラクロ――
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 04」 筑摩書房
1998(平成10)年5月22日
初出「人間 第一巻第九号」1946(昭和21)年9月1日
入力者tatsuki
校正者宮元淳一
公開 / 更新2006-06-22 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は昔から家庭といふものに疑ひをいだいてゐた。愛する人と家庭をつくりたいのも人の本能であるかも知れぬが、この家庭を否応なく、陰鬱に、死に至るまで守らねばならぬか、どうか。なぜ、それが美徳であるのか。勤倹の精神とか困苦耐乏の精神とか、さういふ美徳と同じやうに、実際は美徳よりも悪徳にちかいものではないかといふ気が、私にはしてならなかつた。
 多くの人々の家庭はたのしい棲家よりも、私にはむしろ牢獄といふ感じがする。そしてなぜ耐乏が美徳であるかと同じやうに、この陰鬱な家庭に就ても、人々は、それが美徳であり、その陰鬱さに堪へ、むしろ暗さの中に楽しみを見出すことが人生の大事であるといふ風に馴らされてきた。たゞ「馴らされてきた」のだとしか思ふことができなかつた。
 私はマノン・レスコオのやうな娼婦が好きだ。天性の娼婦が好きだ。彼女には家庭とか貞操といふ観念がない。それを守ることが美徳であり、それを破ることが罪悪だといふ観念がないのである。マノンの欲するのは豪奢な陽気な日毎々々で、陰鬱な生活に堪へられないだけなのである。
 彼女にとつて、媚態は徳性であり、彼女の勤労ですらあつた。そこから当然の所得をする。陽気な楽しい日毎々々の活計のための。
 たぶん太古は人間達はそんな風に日毎々々を陽気に暮してゐたのかも知れない。どうも秩序がなくては共同生活に困るといふので、社会生活といふものが起つてきて、今度は秩序のために多くのことを犠牲にし、善悪美醜幸不幸なにがその本体やらコントンとして分ちがたい物質精神相食み相重りわけの分らぬものが出来上つたのだらうと思ふ。人生とは何か、曰く不可解。私の考へでは、不可決といふのだ。私は決して家庭が悪いと断言しない。断言ができないのだ。この人生に解決があらうとは思はないのだから。
 要するに人間には社会生活の秩序が必要であるが、秩序は必ず犠牲をともなうもので、この両方を秤にかけて公平に割りだすやうな算式が発見される筈はない。要するに今あるよりも「よりよいもの」を探すことができるだけだ。絶対だの永遠の幸福などゝいふものがある筈はない。
 私は勤倹精神だの困苦欠乏に耐へる精神などゝいふものが嫌ひである。働くのは遊ぶためだと考へてをり、より美しいもの便利なもの楽しいものを求めるのは人間の自然であり、それを拒み歪むべき理由はないと信じてゐる。尤も私は、遊ぶことも、近頃はひどく退屈だ。私の心を本当に慰めてくれる遊びなど、私はこの現実に知らず、又、見出してゐない。
 マノン・レスコオの作者プレヴォは本職はカトリックの坊さんであるが、神、絶対に就て考へ、人間の幸福に就て考へる一人の僧侶が天性の娼婦を描き、その悪徳を地上の至高の美果の如くに描きだしたといふことは或いは大いに自然のことであらうと思ふ。そしてマノンの天性は又女一般の隠された天性でもあるが、天国の幸福を考…

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