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巴里にて
パリにて
作品ID4290
著者与謝野 晶子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七」 講談社
1981(昭和56)年4月10日
入力者Nana ohbe
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-02-04 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 巴里の良人の許へ着いて、何と云ふ事なしに一ヶ月程を送つて仕舞つた。東京に居た自分、殊に出立前三月程の間の忙しかつた自分に比べると、今の自分は餘りに暇があるので夢の樣な氣がする。自分の手に一日でも筆の持たれない日があらうとは想像もしなかつたのに、此處へ來てからは全く生活の有樣が急變した。其れが氣樂かと云ふと反對に何だか心細い樣な不安な感が終始附いて廻る。好きな匂の高い煙草も仕事の間に飮んだ時と、外出の歸りに買つて來て、する事のない閑さに飮むのとは味が違ふ。新しい習慣に從ふことを久しい間の惰性が姑く拒むらしい。其れに自分が日本を立つたのは、唯だ良人と別れて居ることの堪へ難い爲めであつた。良人が歐洲へ來たのとは大分に心持が異ふ。歐洲の土を踏んだからと云つて、自分には胸を躍らす餘裕がない。ひたすら良人に逢ひたいと云ふ望で張詰めた心が自分を巴里へ齎した。而して自分は妻としての愛情を滿足させたと同時に母として悲哀をいよいよ痛切に感じる身と成つた。日本に殘した七人の子供が又しても氣に掛る。自分が良人の後を追うて歐洲へ旅行するに就いては幾多の氣苦勞を重ねた。子供を殘して行くと云ふ事は勿論その氣苦勞の一つであつた。其れが爲め特に良人の妹を地方から來て貰つて留守を任せた。子供等は叔母さんに直ぐ馴染んで仕舞つた。叔母さんからの手紙は斷えず子供等の無事な樣子を報じて來る。手紙を讀む度にほつと胸を安めながら矢張り忘れることの出來ないのは子供の上である。
 巴里の街を歩いて居ると、よく帽に金筋の入つた小學生に出會ふ。其れが上の二人の男の子の行つて居る曉星小學の制帽と全く同じなので直ぐ自分の子供等を思ふ種になる。ルウヴルの美術館でリユブラン夫人の描いた自畫像の前に立つても其抱いて居る娘が、自分の六歳になる娘の七瀬に似て居るので思はず目が潤む。自分はなぜ斯う氣弱く成つたのかと、日本を立つ前の氣の張つて居たのに比べて我ながら別人の心地がする。
 四月の半であつた。里に預けて置いた三番目の娘が少し病氣して歸つて來た。附いてる里親の愛に溺れ易いのを制する爲めに看護婦を迎へたりして其兒に家内中が大騷ぎをして居る中へ、四歳になる三男の麟が又突然發熱した。叔母さんも女中達も手が塞がつて居るので書齋の自分の机の傍へ麟を寢かせて自分が物を書きながら看護して居た。温厚しい性質の麟は一歳違ひの其妹よりも熱の高い病人で居ながら、覗く度に自分に笑顏を作つて見せるのであつた。而して無口な子が時時片言交りに一つより知らぬ讚美歌の「夕日は隱れて路は遙けし。我主よ、今宵も共にいまして、寂しき此身を育み給へ」と云ふのを歌ふのが物哀れでならなかつた。自分はそんな事を思ひ出しながら歩くので、巴里の文明に就いては良人が面白がつて居る半分の感興も未だ惹かない。過去半年に良人を懷ふ爲に痩せ細つた自分は、歐洲へ來て更に母として衰へる…

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