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石の思ひ
いしのおもい
作品ID42905
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 04」 筑摩書房
1998(平成10)年5月22日
初出「光 LACLARTÉ 第二巻第一一号」1946(昭和21)年11月1日
入力者tatsuki
校正者宮元淳一
公開 / 更新2006-07-01 / 2014-09-23
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の父は私の十八の年(丁度東京の大地震の秋であつたが)に死んだのだから父と子との交渉が相当あつてもよい筈なのだが、何もない。私は十三人もある兄弟(尤も妾の子もある)の末男で下に妹が一人あるだけ父とは全く年齢が違ふ。だから私の友人達が子供と二十五か三十しか違はないので子供達と友達みたいに話をしてゐるのを見ると変な気がするので、私と父にはさういふ記憶が全くない。
 私の父は二三流ぐらゐの政治家で、つまり田舎政治家とでも称する人種で、十ぺんぐらゐ代議士に当選して地方の支部長といふやうなもの、中央ではあまり名前の知られてゐない人物であつた。しかし、かういふ人物は極度に多忙なのであらう。家にゐるなどといふことはめつたにない。ところが私の親父は半面森春涛門下の漢詩人で晩年には「北越詩話」といふ本を三十年もかゝつて書いてをり、家にゐるときは書斎にこもつたきり顔をだすことがなく、私が父を見るのは墨をすらされる時だけであつた。女中が旦那様がお呼びですといつて私を呼びにくる、用件は分つてゐるのだ、墨をするのにきまつてゐる。父はニコリともしない、こぼしたりすると苛々怒るだけである。私はたゞ癪にさはつてゐたゞけだ。女中がたくさんゐるのに、なんのために私が墨をすらなければならないのか。その父とは私に墨をすらせる以外に何の交渉関係もない他人であり、その外の場所では年中顔を見るといふこともなかつた。
 だから私は父の愛などは何も知らないのだ。父のない子供はむしろ父の愛に就て考へるであらうが、私には父があり、その父と一ヶ月に一度ぐらゐ呼ばれて墨をする関係にあり、仏頂面を見て苛々何か言はれて腹を立てゝ引上げてくるだけで、父の愛などと云へば私には凡そ滑稽な、無関係なことだつた。幸ひ私の小学校時代には今の少年少女の読物のやうな家庭的な童話文学が存在せず、私の読んだ本といへば立川文庫などといふ忍術使ひや豪傑の本ばかりだから、さういふ方面から父親の愛などを考へさせられる何物もなかつた。父親などは自分とは関係のない存在だと私は切り離してしまつてゐた。そして墨をすらされるたびに、うるさい奴だと思つた。威張りくさつた奴だと思つた。そしてともかく父だからそれだけは仕方がなからうと考へてゐたゞけである。
 子供が十三人もゐるのだから相当うんざりするだらうが、然し、父の子供に対する冷淡さは気質的なもので、数の上の関係ではなかつたやうだ。子供などはどうにでも勝手に育つて勝手になれと考へてゐたのだらうと思ふ。
 たゞ田舎では「家」といふものにこだはるので、「家」の後継者である長男にだけは特別こだはる。父も長兄には特別心を労したらしいが、この長兄は私とは年齢も違ひ上京中で家にはをらなかつたから、その父と子の関係もよく知らない。たゞ父の遺稿に、わが子(長男)を見て先考を思ひ不孝をわびるといふやうな老後の詩があり、親父…

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