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巴里まで
パリまで
作品ID4294
著者与謝野 晶子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七」 講談社
1981(昭和56)年4月10日
入力者Nana ohbe
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-02-04 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 浦潮斯徳を出た水曜日の列車は一つの貨車と食堂と三つの客車とで成立つて居た。私の乘つたのは最後の車で、二人詰の端の室であるから幅は五尺足らずであつた。乘合の客はない。硝子窓が二つ附いて居る。浦潮斯徳に駐在して居る東京朝日新聞社の通信員八十島氏から贈られた果物の籠、リモナアデの壜、壽司の箱、こんな物が室の一隅に置いてあつた。手荷物は高い高い上の金網の上に皆載せられてあつた。浦潮斯徳の勸工場で買つて來た桃色の箱に入つた百本入の卷煙草と、西伯利亞の木で造られた煙草入とが机の上に置いてある。是等が黄色な灯で照されて居るのを私は云ひ知れない不安と恐怖の目で見て居るのであつた。終ひには兩手で顏を覆うてしまつた。ふと目が覺めて時計を見ると八時過であつたから私は戸を開けて廊下へ出た。四つ目の室に齋藤氏が居る。其前へ行くと氏が見附けて直ぐ出て來た。食事が未だ濟まないと云ふと、食べないで居ると身體が餘計に疲れるからと云つて、よろよろと歩く私を伴れて氏は一度濟して歸つた食堂へ復行つた。機關車に近いので此處は一層搖れが烈しいやうである。スウプとシチウとに一寸口を附けた丈で私は逃げるやうにして歸つて來た。其間に寢臺がもう出來て居た。十二時頃に留つた驛で錠を下してあつた戸が外から長い鍵で開けられた響きを耳元で聞いて私は驚いて起き上つた。支那の國境へ來たのであるらしい。入つて來たのは列車に乘込んだ役人と、支那に雇はれて居る英人の税關吏とである。荷物は彼れと是れかと云つて、見た儘手を附けないで行つた。三時半頃から明るくなり掛けて四時には全く夜が明けてしまつた。五時過に顏を洗ひに行くと、白い疎ら髭のある英人が一人廊下に腰を掛けて居た。ずつと向うの方には朝鮮人も起きて來て外を見て居るやうであつた齋藤氏は朝寢坊をしたと云つて、八時過に食堂へ行くのを誘ひに來た。パンと珈琲だけの朝飯に一人前に拂ふのが五十錢である。午後の二時に哈爾賓へ着いた。プラツト・フオオムに立つて居た日本人は私の爲に出て居てくれた軍司氏であつた。電報が來たと云つて齋藤氏が持つて來た。「西伯利亞の景色お氣に入りしと思ふ」と云ふ大連の平野萬里さんから寄越したものであつた。伊藤公の狙撃されたと云ふ場所に立つて、其日眼前に見た話を軍司氏の語るのを聞いた。「此汽車は私のために香木を焚いて行く」こんな返電を大連へ打つた。石炭を使はないで薪を用ひるのは次の國境迄だ相である。どの驛でも恐い顏の蒙古犬や嚴しいコサツク兵や疲れた風の支那人やが皆私の姿を訝し相に見て居た。夕方に廣い沼の枯蘆が金の樣に光つた中に、數も知れない程水鳥の居る處を通つた。白樺の小い林などを時時見るやうになつた。三日目の朝に復國境の驛で旅行券や手荷物を調べられた。午後に私の室へ一人の相客が入つて來た。服の上に粗い格子縞の大きい四角な肩掛をした純露西亞風の醜い女である。良人は外の…

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