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巴里の旅窓より
パリのりょそうより
作品ID4295
著者与謝野 晶子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七」 講談社
1981(昭和56)年4月10日
入力者Nana ohbe
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-02-05 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 汽車で露西亞や獨逸を過ぎて巴里へ來ると、先づ目に着くのは佛蘭西の男も女もきやしやな體をして其姿の意氣な事である。勿論一人一人を仔細に觀るなら各[#挿絵]の身分や趣味が異ふ儘に優劣はあらうが、概して瀟洒と都雅であることは他國人の及ぶ所で無からう。佛蘭西の女と云へば、其れが餘りに容易く目に附くので、どの珈琲店にも、どの酒場にも、どの路上にも徘徊する多數の遊女が代表して居る樣に一寸思はれるけれど、自分は矢張りコメデイ・フランセエズの樣な一流の劇場の客間に夜會服の裾を引いて歩く貴婦人を標準として、其れに中流の生活をして居る素人の婦人の大多數を合せて佛蘭西の女の趣味を考へたい。目の周圍にいろんな隈をとつたりする遊女の厚化粧は決して此國の誇る趣味ではない。自分は劇場や畫の展覽會の中、森を散歩する自動車や馬車の上に、睡蓮の精とも云ひたい樣な、細りとした肉附の豐かな、肌に光があつて、物ごしの生生とした、氣韻の高い美人を澤山見る度に、ほれぼれと我を忘れて見送つて居る。而うして、其等の貴婦人の趣味が中流婦人乃至それ以下の一般の婦人の間にまで影響して居ると見えて、隨分粗末な材料の服裝をして居ながら其姿に貴婦人の俤のある女が澤山に見受けられる。自分は是等の趣味の根柢になつて居る物が何であるかを早く知りたい。
 今姑く自分の歐洲に於ける淺はかな智識で推し量ると、佛蘭西の女の姿の意氣で美しいのは、希臘や伊太利から普及した美術の品のよい瀟洒な所が久しい間に外から影響したのでは無いか。ルウヴルの博物館にある伊太利の繪と彫刻とを見た丈でも自分は然う云ふ事が想像される。其等古代の美術にある表情と線とが現に巴里の芝居の俳優の形に著しく出て來る樣に、同じく自分は其れを佛蘭西の女の日常の形に見出す氣がして成らない。其れが全部で無くても、大部分は古代藝術の自然の影響と、又意識して採擇した結果とであらうと想はれる。殊に女優の形と云ふものは希臘や伊太利の古美術に現はれた人體の美しい形を細密に亙つて研究して居るらしいから、其女優の形が上中流の婦人社會に影響するのは當然であらう。

 自分が佛蘭西の婦人の姿に感服する一つは、流行を追ひながら而も流行の中から自分の趣味を標準にして、自分の容色に調和した色彩や形を選んで用ひ、一概に盲從して居ない事である。自分は三四着の洋服を作らす參考にと思つて目に觸れる女の服裝に注意して見たが、色の配合から釦の附け方まで同じだと云ふ物を一度も見たことが無い。仕立屋へ行けば流行の形の見本を幾つも見せる。誂へる女は決して其見本に盲從する事なく、其れを參考として更に自分の創意に成る或物を加へて自分に適した服を作らせるのである。
 又感服した一つは、身に過ぎた華奢を欲しない儉素な性質の佛蘭西婦人は、概して費用の掛らぬ材料を用ひて、見た目に美しい結果を收めようとする用意が著しい。此點は京…

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