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不可解な失恋に就て
ふかかいなしつれんについて
作品ID42979
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 02」 筑摩書房
1999(平成11)年4月20日
初出「若草 第一二巻第三号」1936(昭和11)年3月1日
入力者tatsuki
校正者今井忠夫
公開 / 更新2006-01-07 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 人あるところに恋あり、各人各様千差万別の恋愛が地上に営まれてゐることはいふまでもないことであらうが、見方によればどの恋も似寄つたものだといへないことはない。文学や映画の恋の筋書が似寄つたものであるやうに、人生の恋の筋書も似寄つてゐる。あまつさへ人生の恋はむしろ概して先人の型を摸することが甚だ多く、いつぱし自らの情意のままに思ふところを行つた筈が知識高き人にあつても、或ひは若きエルテルの恋を、或ひはドミトリイ・カラマーゾフの粗暴な恋を知らず摸しゐることもあり、一般大衆に至つては通俗文学や映画の恋の型の外に恋することが殆んど不可能にちかい状態ではないのか。
 恋情の発するところ自然にして自由なるべきものが、然し決して自由ではない。このことほど型を逃れがたい、又自らの自然の姿勢を失ひ易い不自由なものはほかに少いやうである。
 たまたま私の身辺に甚だ型破りな、ちよつと判断に迷ふ恋の実例があつたので、その荒筋を書いてみよう。

 私の知人にもう五十を越えたAといふ絵の先生があつた。三十名近い女弟子がゐる中から、いつも五六人の美少女を引率れて盛り場をぶらついてゐる先生で、その時の様子は甚だ福々しく楽しさうで、我々がそれらの美少女の一人に恋しない限り、決してさういふ先生の姿を憎むことはできない。私はアトリヱの先生の姿も知つてゐたが、アトリヱの先生は魂のぬけがらで、散歩の先生にははづみきつた生命があつた。生々とした喜怒哀楽がよそめに分るのであつた。
 先生は天来稀なフェミニストで、美少女達には常に騎士の礼を持ち、慈父の厳格を持しかりそめにも淫猥な振舞ひはなかつたのだと見る人もあり、然りとすればその潜在性慾の逞しさはジュリアン・ソレルをして修道院に入れたるが如しと説をなす人もあり、敢て美少女に恋人ならぬ人達の中にも、あの先生ほど淫猥な奴も少い、美少女はすべてなで斬りならむなぞと想像を逞うする者もあつた。いづれとも真偽はわからない。
 そのうちに先生は美少女の一人に恋をした。このことは人々に明瞭に分つた。その日まで先生の態度が特定の一人にさし向けられたといふ例は決してなかつたのである。
 と、不思議な現象が起つた。といふのはその頃まで決して散歩の同伴者に男性をまぢへなかつた先生が、恋のはじまるとまもなく、男性それも若く快活にして麗しい青年のみを数名選び、散歩のお供の列に加へた。
 寛大な恋のとりもち役といふ様であるが、さうしていふまでもなく各々の入りみだれた恋が暗に活躍しはじめたが、しかも最も嫉妬に悩む人はといへば、誰の目にもそれが先生その人に他ならぬことが明瞭だつた。
 お供の男女のなんでもない会話すら先生の心臓をかきむしり、先生は苦悩のために窒息しさうでありながら、強ひて何気ない風を装つて連日の散歩をやめなかつた。そのうちに先生の意中の人なる美少女も青年と恋をはじめた。

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