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イプセンの日本語訳
イプセンのにほんごやく
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「北歐の散策」 生活社
1943(昭和18)年3月20日
入力者鈴木厚司
校正者土屋隆
公開 / 更新2008-04-15 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 感想といふところであるから、正確な材料によるものではないし、その上、そんな材料を集めたりすることに餘り興味を持たない私であるから、此處では、只永い年月、イプセンの日本語譯に接した折々に、感じたことを、思ひ出すまゝに書付けて見よう。
 イプセン最初の紹介者は故坪内逍遙博士であつたといふが、私は知らない。私がイプセンの名を知つたのは、明治三十三年に發表せられた高安月郊譯『イプセン社會劇』からである。が、然し、内容はどんなであつたか、讀んでみなかつたから分らない。『人形の家』と『人民の敵』とが載つてゐたといふ。
 イプセン最初の上演は明治四十一年の初め自由劇場でやつた『ボルクマン』であるさうな。その『ボルクマン』の臺本は森鴎外の譯で、今も私の手元にある。隨分得手勝手な譯で、本當に鴎外がやつたものかどうかを、疑はせるほどの惡譯だ。泰豐吉君が明治四十三年の『文章世界』で、その誤譯指摘をやつたといふが、誤譯といふよりも、その出鱈目なのには腹が立つ。
 イプセンの日本譯が最も多く出たのは、明治の末から、大正の初め頃にかけてであつた。千葉掬香がイプセンの所謂散文劇の五六篇を譯して警醒社から出し、それからやがて、森鴎外、島村抱月、中村吉藏、楠山正雄、秋田雨雀など次々に問題劇を譯した。
 最も多くの人により譯されたのは『人形の家』であらう。獨和對譯といふやうなものまでも加へると、殆んど七八種に上りはせぬかと思ふ。
『ヘッダ・ガーブレル』『幽靈』『海の夫人』『小さなイヨルフ』『棟梁ソルネス』『ロスメルスホルム』『野鴨』『ヨン・ガブリエル・ボルクマン』『我等死者の目醒むるとき』『人民の敵』など多きは四五種ぐらゐ、少くとも二種は飜譯があらう。『社會の柱』もたしか千葉掬香の譯があつたと思ふ。『人民の敵』には太田海軍大佐の譯があるのは妙である。しかも此の人、時の海軍政策を攻撃して失職し、その鬱憤がとんで此の譯が成つたのだといふから、一層妙である。出來榮えは知らず。散文劇はみな譯されてゐると思ふが、『青年結社』だけがどうか。見た覺えがないやうな氣もするが確かでない。韻文劇では『ブラン』は中村吉藏の譯が古くから有り、『ペール・ギュント』は楠山正雄の譯がある。それから『インゲル夫人』は永田衡吉譯が改造文庫に加はつてゐる。
 イプセンの日本語譯を斯う上げてくると、立派に一つの大きな表が出來る。今一々それを敍説してゐるひまがないから、省略するとして、その出來榮えについて、概觀してみよう。と、いつても、私が手にとつて讀んだのは、僅少であるから、さう正確に言ふことは出來ない。然し、何よりもいけないことは、イプセンの日本譯のテキストが一つもノルウェイの原文を用ひたものでないことだ。せいぜいのところで、シュレンテルの獨逸譯によつたに過ぎない。他はレグラム版の獨譯か、乃至アーチャーの英譯である。
 シュレ…

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