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アグニの神
アグニのかみ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「蜘蛛の糸・杜子春」 新潮文庫、新潮社
1968(昭和43)年11月15日
初出「赤い鳥」1921(大正10)年1月、2月
入力者蒋龍
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-02-06 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      一

 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合っていました。
「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」
 亜米利加人はそう言いながら、新しい巻煙草へ火をつけました。
「占いですか? 占いは当分見ないことにしましたよ」
 婆さんは嘲るように、じろりと相手の顔を見ました。
「この頃は折角見て上げても、御礼さえ碌にしない人が、多くなって来ましたからね」
「そりゃ勿論御礼をするよ」
 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。
「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さんの占いが当れば、その時は別に御礼をするから、――」
 婆さんは三百弗の小切手を見ると、急に愛想がよくなりました。
「こんなに沢山頂いては、反って御気の毒ですね。――そうして一体又あなたは、何を占ってくれろとおっしゃるんです?」
「私が見て貰いたいのは、――」
 亜米利加人は煙草を啣えたなり、狡猾そうな微笑を浮べました。
「一体日米戦争はいつあるかということなんだ。それさえちゃんとわかっていれば、我々商人は忽ちの内に、大金儲けが出来るからね」
「じゃ明日いらっしゃい。それまでに占って置いて上げますから」
「そうか。じゃ間違いのないように、――」
 印度人の婆さんは、得意そうに胸を反らせました。
「私の占いは五十年来、一度も外れたことはないのですよ。何しろ私のはアグニの神が、御自身御告げをなさるのですからね」
 亜米利加人が帰ってしまうと、婆さんは次の間の戸口へ行って、
「恵蓮。恵蓮」と呼び立てました。
 その声に応じて出て来たのは、美しい支那人の女の子です。が、何か苦労でもあるのか、この女の子の下ぶくれの頬は、まるで蝋のような色をしていました。
「何を愚図々々しているんだえ? ほんとうにお前位、ずうずうしい女はありゃしないよ。きっと又台所で居睡りか何かしていたんだろう?」
 恵蓮はいくら叱られても、じっと俯向いたまま黙っていました。
「よくお聞きよ。今夜は久しぶりにアグニの神へ、御伺いを立てるんだからね、そのつもりでいるんだよ」
 女の子はまっ黒な婆さんの顔へ、悲しそうな眼を挙げました。
「今夜ですか?」
「今夜の十二時。好いかえ? 忘れちゃいけないよ」
 印度人の婆さんは、脅すように指を挙げました。
「又お前がこの間のように、私に世話ばかり焼かせると、今度こそお前の命はないよ。お前なんぞは殺そうと思えば、雛っ仔の頸を絞めるより――」
 こう言いかけた婆さんは、急に顔をしかめました。ふと相手に気がついて見ると、恵蓮はいつか窓際に行って、丁度明いていた硝子窓から、寂しい往来を眺めているのです。
「何を見ているんだえ?」
 恵蓮は愈色を失って、もう一度婆さんの顔…

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