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端午節
たんごせつ
作品ID43020
著者魯迅
翻訳者井上 紅梅
文字遣い新字新仮名
底本 「魯迅全集」 改造社
1932(昭和7)年11月18日
入力者京都大学電子テクスト研究会入力班
校正者京都大学電子テクスト研究会校正班
公開 / 更新2004-05-05 / 2014-09-18
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 方玄綽は近頃「大差ない」という言葉を愛用しほとんど口癖のようになった。それは口先ばかりでなく彼の頭の中にしかと根城を据えているのだ。彼は初め「いずれも同じ」という言葉をつかっていたが、後でこれはぴったり来ないと感じたらしく、そこで「大差ない」という言葉に改め、ずっとつかい続けて今日に及んでいる。
 彼はこの平凡な警句を発見してから少からざる新しき感慨を引起したが、同時にまた幾多の新しき慰安を得た。たとえば目上の者が目下の者を抑えつけているのを見ると、以前は癪に障ってたまらなかったが、今はすっかり気を更えて、いずれこの少年が子供を持つと、大概こんな大見栄を切るのだろうと、そう思うと何の不平も起らなくなった。また兵隊が車夫を擲ると以前はむっとしたが、もしこの車夫が兵隊になり、兵隊が車夫になったら大概こんなもんだろうと、そう思うともう何の気掛りもなかった。
 そういう風に考えた時、時にまた疑いが起る。自分はこの悪社会と奮闘する勇気がないから、ことさら心にもなくこういう逃げ路を作っているのじゃないか。はなはだ「是非の心無き」に近く、好きに改めるに如かざるに遠しというわけで、この意見が結局彼の頭の中に生長して来た。
 彼がこの「大差無し」説を最初公表したのは、北京の首善学校の講堂であった。何でも歴史上の事柄に関して説いていたのであったが、「古今の人相遠からず」ということから、各色人種の等しき事、「性相近し」に説き及ぼし、遂に学生と官僚の上に及んで大議論を誘発した。
「現在社会で最も広く行われる流行は官僚を罵倒することで、この運動は学生が最も甚しい。だが官僚は天のなせる特別の種族ではない。とりもなおさず平民の変化したもので、現に学生出身の官僚も少からず、老官僚と何の撰ぶところがあろう。『地を易えれば皆然り』思想も言論も挙動も風采も元より大した区別のあるものではなく、すなわち学生団体の新に起した許多の事業は、すでに弊害を免れ難く、その大半は線香花火のように消滅したではないか。全く大差無しである。ただし中国将来の考慮すべき事はすなわちここにあるので……」
 講堂の中には二十名余りの学生が散在していた。ある者はいかにもそうだ、というような顔付した。この話を好いと思ったのだろう。ある者は憤然とした。青年の神聖を侮辱すると思ったのだろう。他の幾人は微笑を含んで彼を見た。おおかた彼自身の弁解とこれを見たのだろう。方玄綽は官僚を兼ねていたからである。
 しかしこの推定は皆誤りであった。実際これは彼の新不平に過ぎないので、不平を説いてはいるが、彼の分に安ずる一種の空論にしかあり得ない。彼は自分では気がつかないが、怠け者のせいか、それともまた役に立たないせいか、とにかく運動を肯じないで、分に安じ己を守る人らしく見えた。大臣は彼に神経病があるのを罪無きものに思い、彼の地位に動揺を来さない…

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