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頭髪の故事
とうはつのこじ
作品ID43021
著者魯迅
翻訳者井上 紅梅
文字遣い新字新仮名
底本 「魯迅全集」 改造社
1932(昭和7)年11月18日
入力者京都大学電子テクスト研究会入力班
校正者京都大学電子テクスト研究会校正班
公開 / 更新2008-07-18 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日曜日の朝、わたしは剥取暦のきのうの分を一枚あけて、新しい次の一枚の表面を見た。
「あ、十月十日――きょうは双十節だったんだな。この暦には少しも書いてない」
 わたしの先輩の先生Nは、折柄わたしの部屋に暇潰しに来ていたが、この話を聞くと非常に不機嫌になった。
「彼等はそれでいいんだ。彼等は覚えていないでも、君はどうしようもないじゃないか。君が覚えていてもそれがまた何になる」
 このN先生というお方は本来少し変な癖があって、ふだんちょっとしたことにも腹を立て、ちっとも世間に通ぜぬ話をする。そういう時にはいつもわたしは彼一人に喋舌らせて一言も合槌を打たない。彼は一人で議論を始め、一人で議論を完結すればそれで納得するのだ。
 彼は説く。
「わたしは北京の双十節の次第を最も感服するのである。朝、警官が門口に行って『旗を出せ』と吩咐ける。彼等は『はい、旗を出します』と答える。どこの家でも大概は不承々々に一人の国民が出て来て、斑点だらけの一枚の金巾を掲げて、こうしてずっと夜まで押しとおし――旗を収めて門を閉めるのであるが、そのうち幾軒は偶然取忘れて次の日の午前まで掲げておく。
 彼等は記念日を忘れ、記念日もまた彼等を忘れる。
 わたしもこの記念日を忘れる者の一人だが、もし想い出すとすれば、あの第一双十節前後のことで、それが一時に胸に迫って来て、いろいろの故人の顔が皆眼の前に浮び出し、居ても立ってもいられなくなる。幾人の青年は、十年の苦心空しく、暗夜に一つの弾丸を受けて彼の命を奪られたことや、幾人の青年は暗殺に失敗して監獄に入れられ、月余の苦刑を受けたことや、幾人の青年は遠大の志を抱きながら、たちまち行方不明になって首も身体もどこへ行ったかしらん――
 彼等は社会の冷笑、悪罵、迫害、陥穽の中に一生を過し、現在彼等の墓場は早くも忘却され、次第々々に地ならしされてゆく。わたしはこれらの事を記念するに堪えない。それよりもわたしは今だに覚えている小気味のいい話をして聞かせよう」
 Nはたちまち笑顔になり、手を伸ばして自分の頭を撫でまわしながら、声高に語った。
「わたしの最も得意としたのは、最初の双十節以後のことで、その時はもうわたしが道を歩いても人から笑われることがない。
 老兄、君は知っているだろうが、髪の毛はわれわれ中国人の宝であり、かつ敵である。昔から今までどれほど多くの人が、この頂きのために何の直打もない苦しみを受けつつあったか?
 ずっと昔のわれわれの古人について見ると、髪の毛は極めて軽く見られていたらしい。刑法に拠れば人の最も大切なものは頭脳だ。それゆえに大辟は上刑である。次に必要なものは生殖器である。それゆえに宮刑と幽閉は、これもまた人を十分威嚇するに足る罰である。[#挿絵]に至っては微罪中の微罪だが、かつてどれほど多くの人が、くりくり坊主にされたため、彼の社会か…

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