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花は勁し
はなはつよし
作品ID43035
著者岡本 かの子
文字遣い新字旧仮名
底本 「岡本かの子作品集」 沖積舎
1990(平成2)年7月20日、1993(平成5)年6月30日新装版
入力者松下哲也
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-01-05 / 2014-09-18
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 青みどろを溜めた大硝子箱の澱んだ水が、鉛色に曇つて来た。いままで絢爛に泳いでゐた二つのキヤリコの金魚が、気圧の重さのけはひをうけて、並んで沈むと、態と揃へたやうに二つの顔をこちらへ向けた。うしろは青みどろの混沌に暈けて二ひきとも前胴の半分しか見えない。箱のそとには黄色い琥珀の粒の眼をつけた縞馬の置物が、水粒が透けて汗をかいたやうな硝子板に鼻を擦りつけてゐる。
 箱の蓋の上に置いてある鉢植のうす紅梅がぽろ/\散つて、逞しい蕊が小枝に針を束ねたやうに目立つ。
 新興活花の師三保谷桂子は、弟子の夫人や令嬢たちが帰つたあとで、材料の残りの枝を集めて、自分だけ慰みの活花をずんどうに挿して、少時眺め入つてゐたが、俄に変つて来た空の模様を硝子戸越しに注意しながら、少しの天候の変化からもぢきに影響される金魚の敏感な様相を観まもつた。
 空の模様はます/\険悪になり、しぶき始めた雨と一緒に光り出した稲妻の尖端が、窓硝子を透して座敷の中の炭炉にさした。
「金魚、縞馬、花、稲妻――まるで幻想詩派の文人たちの悦びさうなシーンだね」
 落ちついて水を持つて来た姪のせん子に、聞かせるといふほどの意志もなく桂子はいつた。
 それから桂子は、桂子がフランスを発つて来る間際まで、世紀末生残りの詩人が、まだ飽きずにこんな感じの詩を作つてゐたことを、ちよつとの間、憶ひ出してゐた。
 未完成のまゝ花器の根元を持つてそつと桂子が押しやつたずんどうの花活へ、水を差しながらせん子がいつた。
「先生けふは三十日――あしたは晦日――今夜でも小布施さんにお金を持つてつてあげないぢや」
 小布施は桂子の遠い親戚の息子で、もと桂子が画を習つてゐた時の同門でもあつた。不遇で病弱で、長く桂子に物質的補助をうけてゐる画家であつた。
 桂子は花の屑を包んで膝かけを外しながら、いつも病気勝ちな小布施に何かにつけて気を配るせん子をいぢらしいと思つた。ひよつとしたら内心、小布施を愛してゐるのかも知れない。桂子はそれから襟元を少し掻き寛げ、右手の拇指を右の前脇の帯に突き込んで扱くと同時に、体格のいゝ胴を捻つた。博多の帯がきし/\鳴つた。
「あゝ窮屈だつた。お弟子達には行儀よくしてなくちやならないから辛いね。せん子、お茶でも持つて来ておくれ」
 茶室造りの畳の根太の下に響いて、やゝ烈しい雷鳴が一つしたあとは、ずつと音響が空の遠くへ退いて行つた。桂子は、姪でも内弟子でもあるせん子を相手に麦落雁を二つ三つ撮んでから漆塗りの巻絵の台に載つてゐる紙包の嵩をあつさり掴んだ。これは今日の弟子達が置いて行つた月謝の全部だ。桂子はそれを袱紗に包んで、
「どれ、若い恋人に会ひに行かうかね」
 なかばせん子の気を牽きながらかういつた。
 せん子はまはりを見廻して眉を顰めた。
「冗談にもそんな云ひ方はよくありませんわ。人聴きが悪い……」
 その声には…

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