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あきまろに答ふ
あきまろにこたう
作品ID43051
著者正岡 子規
文字遣い新字旧仮名
底本 「歌よみに与ふる書」 岩波文庫、岩波書店
1955(昭和30)年2月25日、1983(昭和58)年3月16日第8刷改版
初出「日本」日本新聞社、1898(明治31)年3月6日
入力者土屋隆
校正者川向直樹
公開 / 更新2004-07-19 / 2016-04-03
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「も」の字につきて質問に御答申候。「も」の字は元来理窟的の言葉にて、俳句などにては「も」の字の有無を以て月並的俗句なるか否かを判ずる事さへある位に候へども、さりとて「も」の字尽く理窟なるにも無之候。拙作に対する質問に答へんは弁護がましく聞えて心苦しき限りながら、議論は議論にて巧拙の評にあらねば愚意試に可申述候。
「も」の字にも種類ありて「桜の影を踏む人もなし」「人も来ず春行く庭の」「屍をさむる人もなし」などいへる「も」は殆ど意味なき「も」にて「人なし」「人来ず」といへると大差なければ理窟をば含まず、また「梅咲きぬ鮎ものぼりぬ」の「も」は梅と鮎とを相並べていふ者なればこれも理窟には相成不申候。実朝の「四方の獣すらだにも」はやや理窟めきて聞ゆる「も」にて「老い行く鷹の羽ばたきもせず」「あら鷹も君が御鳥屋に」の二つはややこれに似たる者に有之候。その理窟めきて聞ゆるは二事二物を相対して言ふ意味ながら、一事一物をのみ現し他を略したるがためにして、例へば獣だに子を思ふといふはまして人は子を思ふといふことを含み、羽ばたきもせずといふはまして飛び去らんともせずといふことを含み、あら鷹もといふはその外の鷹もといふ意を含むが如き者に候。しかしこの獣の歌も鷹の歌も全体理窟づめにしたる歌には無之、悲哀感慨を述べたる者と見て差支なかるべく候。(羽ばたきもせずの歌やや理窟めきたるは「ほだしにて」の語あるがためにして「も」の論とは異なり)
 歌につきても今まで大体を示すに忙しく細論するの機なく候処、「も」の字の実地論出で候まま「理窟」といふことをここに詳述可致候。心理学者が普通にいふ如く心の働きを智情意の三に分てば、前日来「歌は感情的ならざるべからず」などいひし感情とはこの「情」の一部分にして、例の理窟とは「智」の一部分に相当申候。しからば理窟とは「智」の如何なる部分かといふに画然とその限界を示す能はざれども、要するに智の最も複雑したる部分が程度の高き理窟にて、それが簡単になればなるほど、程度の低き理窟となる訳に候。今まで用ゐたる理窟といふ語は最簡単の智をば除きて言ひしつもりなれど、貴書の意は智と理窟とを同一に見做されたるかと覚え候。論理的に厳粛に議論せんとする場合には後説の方あるいはよろしかるべく、さうすれば理窟の内でも低度の理窟は文学的としてこれを許し、高度の理窟は非文学的としてこれを排斥する訳に相成申候。この低度の理窟即ち最簡単の智とは記憶比較の類の如き者にして、如何なる純粋の文学的感情といへども、多少の記憶力比較力を交へざる時は文学として成り立つ者には無之候。もし理窟の語を広義の方に用うれば、実朝の歌の如きこれを理窟と言ひ得べく候へど、しかし余の標準に従ふて判ずれば、これは許すべき理窟の部に属し申候。
 かく申さば一方にて「すらだにも」の如きを許し、他の方にて「も」の一字を蛇蝎視…

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