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夕凪と夕風
ゆうなぎとゆうかぜ
作品ID43082
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第六巻」 岩波書店
1997(平成9)年5月6日
初出「週刊朝日」1934(昭和9)年8月1日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-09-17 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夕凪は郷里高知の名物の一つである。しかしこの名物は実は他国にも方々にあって、特に瀬戸内海沿岸にこれが著しいようである。そうして国々で○○の夕凪、□□の夕凪といって他の名物を自慢するように自慢にしているらしい。普通は特有な好いものを自慢にするのだが、たまにはあまりよくない特色を自慢する場合もあるのである。
 アインシュタインが有名になりかけたころ、方々の国々で、彼は自分の国の出身であるといっていい争ったことがあった。そのときアインシュタインが「もし私が b[#挿絵]te noire だったらこんなことはあるまい」といって皮肉に笑ったそうである。なるほど弓削道鏡が自分の同郷出身だといって自慢する人はあまりないかもしれないが、しかし石川五右衛門の同郷者だといってシニカルな自慢を振り廻す人はあるかもしれない。
 それはとにかく、暑い国の夏の夕凪は、その肉体的効果から見ればたしかに、ベート・ノアルであるが、しかしそれが季節的自然現象であるだけにかなりに多彩な詩的題材を豊富に包蔵していることも事実である。
 夕凪は夏の日の正常な天気のときにのみ典型的に現われる。午後の海軟風(土佐ではマゼという)が衰えてやがて無風状態になると、気温は実際下がり始めていても人の感じる暑さは次第に増して来る。空気がゼラチンか何かのように凝固したという気がする。その凝固した空気の中から絞り出されるように油蝉の声が降りそそぐ。そのくせ世間が一体に妙にしんとして静かに眠っているようにも思われる。じっとしていると気がちがいそうな鬱陶しさである。この圧迫するような感じを救うためには猿股一つになって井戸水を汲み上げて庭樹などにいっぱいに打水をするといい。葉末から滴り落ちる露がこの死んだような自然に一脈生動の気を通わせるのである。ひきがえるが這出して来るのもこの大きな単調を破るに十分である。夜の十二時にもならなければなかなか陸風がそよぎはじめない。室内の燈火が庭樹の打水の余瀝に映っているのが少しも動かない。そういう晩には空の星の光までじっとして瞬きをしないような気がする。そうして庭の樹立の上に聳えた旧城の一角に測候所の赤い信号燈が見えると、それで故郷の夏の夕凪の詩が完成するのである。
 そういう晩によく遠い沖の海鳴りを聞いた。海抜二百メートルくらいの山脈をへだてて三里もさきの海浜を轟かす土用波の音が山を越えて響いてくるのである。その重苦しい何かしら凶事を予感させるような単調な音も、夕凪の夜の詩には割愛し難い象徴的景物である。
 東京という土地には正常の意味での夕凪というものが存在しない。その代りに現れる夏の夕べの涼風は実に帝都随一の名物であると思われるのに、それを自慢する江戸子は少ないようである。東京で夕凪の起る日は大抵異常な天候の場合で、その意味で例外である。高知や広島で夕風が例外であると同様である。…

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