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レーリー卿(Lord Rayleigh)
レーリーきょう(ロード レーリー)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第六巻」 岩波書店
1997(平成9)年5月6日
初出「岩波講座 物理学及び科学」岩波書店、1930(昭和5)年12月
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-09-17 / 2014-09-18
長さの目安約 56 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 レーリー家の祖先は一六六〇年頃エセックス(Essex)州のモルドン(Maldon)附近に若干の水車を所有して粉磨業を営んでいた。一七二〇年頃ターリング(Terling)に新しく住家を求め、その後 Terling Place の荘園を買った。その邸宅はもとノリッチ僧正(Bishops of Norwich)の宮殿であった。その後ヘンリー八世の所有となったこともあった。その時の当主ジョン・ストラット(John Strutt)は Maldon からの M. P. として選出された。この人の長子は早世し、次男の Joseph Halden Strutt(一七五八―一八四五)が家を継いだ。彼は陸軍大佐となり王党の国会議員となり、Duke of Leinster の娘の Lady Fitzgerald と結婚した。これがここに紹介しようとする物理学者レーリー卿の祖父である。勲功によって貴族に列せられようという内意があったが辞退したので、爵位はその夫人に授けられ、夫人からその一人息子の John James Strutt(一七九六―一八七三)に伝えられた。これが最初の Lord Rayleigh となった訳である。Rayleigh は附近の小都市の名で、口調がいいというだけの理由でこの名を採用したものらしい。彼は Clara Elizabeth La Touche Vicars と結婚して、Langford に住んでいた。ここで John William Strutt が生れた。これがすなわち物理学者のレーリー卿である。
 レーリーの血筋に科学的な遺伝があるとすればそれはこの外戚のヴィカース家から来ているらしい。すなわち外戚祖父とその兄弟は工兵士官であり、また外戚祖母の先祖にも優れた砲工兵の将官が居た。また祖母 Lady FItzgerald は有名なボイル(Robert Boyle)の兄弟の裔だそである。
 一八四二年の十一月十二日に John Willam を生んだときに母は年わずかに十八歳であった。そうしてこの子はいわゆる七月子として生れたのである。三歳になるまで物が云えなかった。しかし物事にはよく気がついて、何でも指さして「アー、アー、アー」と云った。そうして「あれはお家です」、「犬です」という返事を聞かないうちはなかなか満足しなかった。祖父の大佐がこの子を始めて見たときに「これはよほど利口か、それとも大馬鹿だ」と云った。それはこの児の頭蓋骨の形を見てそう云ったものらしい。
 生れて二十箇月後に階段から転がり落ちて、頭に青や黒の斑点が出来た。その後にも海岸の波止場から落ちて溺れかかった事もあった。また射的をしている人の鉄砲の筒口の正面へ突然顔を出して危うく助かった事もあった。大きくなるに従って物を知りたがり、卓布にこぼれた水が干上がるとどうなるかなどと聞いた。内…

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