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巴里の唄うたい
パリのうたうたい
作品ID43085
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「世界紀行文学全集 第二巻 フランス編Ⅱ」 修道社
1959(昭和34)年2月20日
入力者門田裕志
校正者田中敬三
公開 / 更新2006-04-30 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    彼等の決議

 市会議員のムッシュウ・ドュフランははやり唄は嫌いだ。聴いていると馬鹿らしくなる。あんな無意味なものを唄い歩いてよくも生活が出来るものだ。本当に生活が出来るのかしら――こう疑い始めたのが縁で却ってだんだん唄うたいの仲間と馴染が出来てしまった。それに彼の生来の世話好きが手伝って彼はとうとう唄うたいの仲間の世話役になってしまった。
 いま巴里には町の唄うたいが三百人ばかりいる。彼等は時々サン・ドニの門の裏町のキャフェに寄る。そこへははやり唄の作者や唄本の発行者も集って来て本の取引かたがた町のはやり唄に対する気受の具合を話し合う。それが次のはやり唄を作る作者の参考にもなる。彼等は繩張のことで血腥い喧嘩もよくする。
 はやり唄は場末の家の建壊しの跡などへ手風琴鳴しを一人連れて風の吹き曝しに向って唄い出す。また高いアパルトマンの間の谷底のような狭い露路について忍び込んで来て、其処をわずかにのぞく空の雲行を眺めながらも唄う。幾つものアパルトマンの窓から、女や男や子供がのぞく、覗かないで窓の中でしんと仕事をしながら聴いていて手だけ窓から出し、小銭を投げてやる者もある。別に好い声という訳ではない。むしろ灰汁のある癖の多い声が向く、それに哀愁もいくらか交る。そしてもしその唄が時の巴里の物足りなく思っている感情の欠陥へこつりと嵌まり込めばたちまち巴里じゅうの口から口へ移されて三日目の晩にはもうアンピールあたりの一流の俗謡の唄い手がいろいろな替唄までこしらえて唄い流行らしてくれるし譜本は飛ぶように売れ始まる。
 スウ・レ・トアド・パリの唄から“C'est pour mon papa”の唄へ――巴里の感情は最近これらのはやり唄の推移によってスイートソロから陽気な揶揄の諧調へ弾み上ったことが証拠立てられた。このとき他の国の財政の慌てふためきをよそにフランスへは億に次ぐ億の金塊がぐんぐん流れ込んでいた。
 だが、やがてこの国にも不況が来た。冬を感ずるのは一番先に小鳥であるように、巴里の不景気を感じたのはまず町の唄うたいだった。
 無意味なことで彼等は暮らしていると思っていることの上に一種の愛感を持ってこれまで世話して来たムッシュウ・ドュフランは彼等の急にしょげた様子を見てこれが当り前だとも思い、それ見たことかとも思わぬでもなかったが、兎に角今は自分の世話子達である。困惑はもっと迫っていた。
 或日、例のサン・ドニの門の裏町のキャフェで彼等の集りがあった。ムッシュウ・ドュフランは司会のはじめにいった。
「どうだ、この不景気に乗るような唄をこしらえて見ては。節はなるたけ陰気なのがいい。たとえば、ラ――ラ――ラ――とこんな調子にやったならば。」
 彼等はげらげら笑った。市会議員の舌の鳴物入りの忠言なんかはこの道で苦労している彼等には真面目に対手になってはいられなかった。…

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