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倫敦の一夜
ロンドンのいちや
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「世界紀行文学全集 第三巻 イギリス編」 修道社
1959(昭和34)年7月20日
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-08-09 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 六月二十八日の午後六時、ハイド・パークの椅子によりながら講和条約調印の号砲を聞いた。号砲は池のほとりで一発又一発とつづけて打ち出されるので、黄い烟が青い木立のあいだを迸り出て、陰った空の下に低く消えてゆくのが眼の前にみえる。一隊ごとに思い思いのユニフォームを着けた少年軍が、太鼓をたたき、喇叭を吹きながら、足並をそろえて公園へ続々と繰込んでくる。今にも降り出しそうに暗い大空の下にも、一種のよろこびの色が漂って来たが、そこらに群がっている人たちは左のみに動かない。講和条約の調印――それは既定の事実だと云うような顔をしてみんな冷かに沈黙しているらしくも見えた。これが代表的英国人というのかも知れないと私は思った。
 宿へ帰ると、晩餐のテーブルに珍しく日本酒が出ている。いよいよ平和克復の祝意を表するのだと云って、ふだんは無口の主婦も今夜は流石ににこにこしている。われわれも無論祝意を表して、更に夜の市中の光景を観るべくZ君M君と三人づれで再び宿を出た。出るときに空を仰ぐと暗い雲はだんだんに倫敦の上を掩って、霧のような冷い細雨がほろほろと帽子の庇に落ちて来た。部屋へ引返して雨仕度をして出ると、近所の家々の軒にかけられた国旗が湿っぽい夜風にゆるく靡いている。
 此頃の倫敦は非常に日あしが長くて、夜も十時頃でなければほんとうに暮れ切れない。しかも今夜は昼から陰っているせいか、まだ八時というのに表はもう暮れている。われわれは薄暗い横町を足早にたどって、先ずオックスフォード・サアカスの大通りに出た。出てみると昼と夜とはまるで世間のありさまが変っている。どこから集まって来たか知らないが、無数の人間が三方から真黒に押寄せて来て、一方のピカデリー・サアカスの方角へ平押しに押してゆく。われわれもその渦のなかに呑み込まれて、殆ど無意識におなじ方面へ押されて行った。
 夕刊の新聞記事によると、今夜の賑いの中心はトラファルガー・スクエヤーで、そこで花火が揚がるという。群衆の潮もその方角へ向って流れてゆくらしい。そう思いながら、押されるままに進んでゆくと、路傍のホテルや料理店の二階三階からコンフェッチーが無暗に投げられるので、紅白の細かい紙の雪は群衆の帽子や肩の上に一面に降りかかってくる。もう斯うなると、代表的英国人も何にもあったものではない。沈着と謹慎を売物にしている英国人も今夜は明っ放しの無礼講である。喉が破裂しそうな大声をあげて歌う者がある。訳も無しにわっわっと呶鳴る者がある。旗を振ってあるく者がある。一種の小さい毛箒のようなウィスクを手に持って、誰でも構わずに人の顔をなで廻してゆく者がある。
 このウィスクが唯一のいたずら道具で、若い女はみんな一本ずつ用意している。そうして人と人とが摺れ違う途端に男は女の顔を擦る。女は男の鼻を撫でる。うしろからその襟首を撫でまわすものもある。何となく擽…

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