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西洋見学「はしがき」
せいようけんがく「はしがき」
作品ID43097
著者野上 豊一郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「西洋見學」 日本評論社
1941(昭和16)年9月10日
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-11-02 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昭和十三年(一九三八年)十月一日、郵船靖國丸でヨーロッパへ向つて神戸を出帆し、翌十四年(一九三九年)十一月十八日、郵船淺間丸でアメリカから横濱に入港した。
 旅行の目的は、イギリスの諸大學で、交換教授として、能の藝術理論を中心として日本文化の特質について講義することであつた。講義したのは、ケインブリヂ、オクスフォド、ロンドン、リーヅ、ダラム(ニューカッスル・アポン・タイン)の五大學と、二三の學會であつた。その頃、イギリスとの國際情勢が思はしくなかつたので、政府當局の人たちも大使館の人たちも心配してくれたが、また、私自身も最惡の場合の覺悟はしてゐなくもなかつたが、事實は、意外にも、むしろ反對に、頗る氣持よく迎へられ、リーヅ大學では、エドワード・ヂェイムズ教授夫妻が私たち夫妻のために講義期間中自分たちの家庭を提供してくれたり、ケインブリヂではサー・アーサー・クィラクーチ教授が、近年さういつたことは全くなかつたのださうだが、特に私のために老躯を提げてチェアマンになつてくれて、非常に厚意に充ちた長い紹介の挨拶をしてくれたりした。クィラクーチ先生は私の講義がすむと、その大きな手をさし出して、あなたの話は政治問題に觸れなかつたから愉快だつたといつた。私が政府から派遣されたので、國策の宣傳の方へでも脱線しはしないかと心配したのではないかとも思つたが、さうでもなく、學問とか藝術とかの世界では、政治外交の方面では望めないお互ひに心をゆるし合へる親和の結びつきがあるもので、それを私のまづい言葉の中にも感じて喜んでくれたに相違ない理由を發見した。
 その他、オランダではハーグ藝術協會で、フランスではソルボンヌ大學と演藝學會(パリ)で、イタリアでは極東協會(ローマ)で、それぞれ一囘もしくば二囘の講演をしたが、ドイツでは七月から八月へかけての惡い時期(後になつて見ると大戰勃發の直前でもあつた)ではあり、私自身も少し疲れてゐたので辭退し、フンガリアからも招待されたが、スケデュールの變更がむづかしいのでこれも辭退し、アメリカの大學と博物館へは戰爭が始まつて約束の期日までに行かれなくなつたので、これも無線電信で辭退し、結局、旅行の最後の部分は戰爭の區域外へ逃げ出すことの苦勞で過ごしてしまつた。
 今度の旅行で痛切に感じた一つの重要なことは、西洋諸國では、われわれが日本で想像してゐる以上に、日本のことを殆んどなんにも知つてないといふことである。殊に、日本の文化方面に關しては驚くべく無知だといふことである。尤も、私が相手にした少數の團體は、東洋とか藝術とかいつたやうな問題に關心を持つてる人たちが大部分だから、これは例外とすべきであるが、一般知識階級の人たちは、支那のことについては多少知つてゐても、日本のことについてはまるで知つてゐない。日本が戰爭に強いことはよく知つてるけれども、日本に昔から…

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