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梅龍の話
うめりょうのはなし
作品ID43105
著者小山内 薫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本現代文學全集34 岡本綺堂・小山内薫・眞山青果集」 講談社
1968(昭和43)年6月19日
初出「中央公論」1911(明治44)年12月
入力者網迫、土屋隆
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-08-17 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 著いた晩はどうもなかつたの。繪端書屋の女の子が、あたしのお煎餅を泥坊したのよ。それをあたしがめつけたんで大騷ぎだつたわ。でも姐さんが可哀さうだから勘辨してお遣りつて言ふから、勘辨してやつたの。[#挿絵]赤坂のお酌梅龍が去年箱根塔の澤の鈴木で大水に會つた時の話をするのである。姐さんといふのは一時は日本一とまで唄はれた程聞えた美人で、年は若いが極めて落ちついた何事にも襤褸を見せないといふ質の女である。これと同じ内の玉龍といふお酌と、新橋のお酌の若菜といふのと、それから梅龍の内の女中のお富といふのと、斯う五人で箱根へ湯治に行つてゐたのである。梅龍は眼の涼しい鼻の細い如何にも上品な可愛い子だが、食べる事に掛けては、今言つた新橋の若菜と大食のお酌の兩大關と言はれてゐる。梅龍の話に喰べ物の出て來ない事は決して無い、[#挿絵]水の出たのはその明くる日の晩よ。あたしお湯へ這入つて髮を洗つてゐたの。洗粉を忘れて行つたんでせう。爲方がないから玉子で洗つたのよ。臭くつて嫌ひだけど我慢して。さうすると、なんだか急にお湯が黒くなつて來て、杉つ葉や何かが下の方から浮いて來るのよ。妙だと思つてると、お富どんが飛んで來て、「水ですから、逃げるんですから、水ですから、逃げるんですから。」ッて大慌てなの。何だか分らないから、よく聞くと、山つなみとかで大水が出たから逃げるんだつて言ふんでせう。それから大急ぎでお湯を出たの。髮がまだよく洗ひ切れないんでせう。氣持が惡いから香水をぶつかけたら、尚臭くなつちまつたの。爲方がないから洗ひ髮をタオルで向う鉢卷なの。好い著物は汚すといけないからつて、お富どんがみんな鞄の中へ納つてしまつたんでせう。あたし宿屋の貸浴衣の長いのをずるずる引き摺つて逃げ出したの。でも若し喰べ物が無くなると困ると思つたから、牛の鑵詰と福神漬の鑵詰の口の明けたのを懷に捩ぢ込んで出たの。ところが慌てて福神漬の口の方を下にしたもんだから、お露がお腹の中へこぼれてぐぢやぐぢやなの。氣味が惡いつたらなかつたわ。
 外へ出ると、眞暗で雨がどしや降りなの。半鐘の音だの、人の騷ぐ聲だのは聞えるけど、一體どこにどの位水が出たんだか、まるで分らないのよ。兎に角向う側の春本つて藝者屋へ逃げるんだつて言ふから、あたしも附いて行くと、もうそこの家は人で一ぱいなの。鈴木のお客さんをみんなそこへ逃がしたんでせう。下駄なんか丸でどれが誰のだか分らないやうに澤山脱いであるの。
 その内に向う川岸の藝者屋が川へ落ちたつて言ふのよ。なんだか少し恐いと思つてると、水力が切れて電氣がみんな消えてしまつたの。
 蝋燭を上げますから一本宛お取りなさいつて言ふ人があるの。それからみんな手探りで一本宛貰ふのよ。あたしそつと二度手を出して二本取つてやつたわ。あたし達はそれから二階へ通されたの。貰つた蝋燭は、大根の輪切りにしてあるのを…

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