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野口英世博士の生家を訪ひて
のぐちひでよはかせのせいかをおとないて
副題(野口記念館の設立を希望す)
(のぐちきねんかんのせつりつをきぼうす)
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「雨の降る日は天気が悪い」 大雄閣
1934(昭和9)年9月23日
入力者門田裕志
校正者小林繁雄
公開 / 更新2006-08-04 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 東京朝日新聞に、『世界人の横顏』の第十六回野口英世のそれが、北島博士の筆で面白く書かれたのを讀んだのは半年前である。甚だ漠然としてゐる言葉だが『世界人』とは文明世界一般に廣く知られてゐる偉人といふ意味であらう。但し名が喧傳すると共に眞に世界の文化に貢獻して多大の恩惠を施し、その報として眞に受くべき光榮を世界から受けた人なら一層ありがたい、文字通りにも有り難い、野口は正にかゝる種類の世界人で、日本のために萬丈の光[#挿絵]を發揮した人――日本國が世界の學界に誇るに足る大學者――日本人種優良の現證を示して、日本人の自重心自信力を高める好個の活教訓である。
 一九二八(昭和三年)五月二十一日、西アフリカのゴールド・コースト州アクラ港で研究中の黄熱病にかゝり殉道の死を遂げた時は全世界が哀悼した。ロックフエラー研究所は『古今を通じて最大の細菌學者の一人』と賛した。アメリカの議會はその名において弔意を表し『十九世紀より二十世紀にわたつての世界の三大醫學者の一人』と稱した。
 彼が古今を通じて日本の生める最大人物の一人であることは明々白々である。一九一三年オーストリーのヰインで、萬有科學大會第八十五回が開かれた時、招聘されてアメリカから渡つた野口は、同會で三大講演をやつた、そして全歐の學界に鳴りひびいてゐるフオン・ミユーラー(同會々長)に深大の敬禮を拂はれた。講演終了の後、野口と一言半句でも交はしたいと押し寄せてくる崇拜者の洪水に對して水門を加減するのは非常の骨折で又非常の喜びであり誇りであつたと東京帝大の眞鍋嘉一郎教授が當時の思ひ出を書いたのを今に記憶する。當時ヰインの最大新聞紙は第一面に野口の肖像をのせ『日本の凱歌』と最大の活字で題した長記事をのせた。その後ドイツに行つてベルリン郊外ダーレムに新設のカイゼル・ウィルヘルム研究所の開場式に招待された。式後に當時全歐の覇王であつた萬有科學の權威國ドイツ皇帝陛下から數百人の學者の前で、親しく推稱の演説を忝けなうした唯一の光榮者は彼野口であつた。
 かゝる學者が日本人であつたといふ事はどれほど日本の光榮であるか、後進の青年輩にとりて何等の活ける教訓であるか。惜いかな、その日その日の紛々たる出來事が絶えず眼前に現るゝので健忘の我々は、かゝる偉人の存在をもさつさと葬り去つてしまふ、無理も無いが殘念である、教育上からも多大の損失である。
 彼が偉勳を立てた南米エクアドルには、その表彰の記念碑があり銅像があり、野口町と改稱された町があるのに、日本に同樣のものが無いのは惜しい。確聞する所だが『もし野口記念會が確立するなら毎年三千ドルを送金しよう』と外務省あてにロツクフエラー研究所から通知されてゐるといふ。私はこれを爲政者、教育者に注意し、そして「野口記念館」の速かな設立を切に勸めたい。
 野口は福島縣の猪苗代湖畔の極貧兒と生れ、三歳の…

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