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死と影
しとかげ
作品ID43139
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 07」 筑摩書房
1998(平成10)年8月20日
初出「文学界 第二巻第九号」1948(昭和23)年9月1日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-04-17 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私がそれを意志したわけではなかったのに、私はいつか淪落のたゞなかに住みついていた。たかが一人の女に、と、苦笑しながら。なぜ、生きているのか、私にも、分らなかった。
 私が矢田津世子と別れたことを、遠く離れて、嗅ぎつけた女があった。半年前に別れた「いづこへ」の女が、良人とも正式に別れて、田舎の実家へ戻っていたが、友人や新聞雑誌社へ手を廻して、常に私の動勢を嗅ぎ分けていたのであった。
 女は実家から金を持ちだして、私の下宿から遠からぬ神保町に店を買い、喫茶バーをはじめ、友人をローラクして、私をその店へ案内させた。酒につられて私がヨリをもどさずにいられぬことを、見抜いていた。
 私は女の愛情の悲しさや、いじらしさを、感じることはできなかった。落ちぶれはてた魂を嗅ぎ分けて煙のように忍びよる妖怪じみた厭らしさに、身ぶるいしたが、まさしく妖怪の見破る通り、酒と肉慾の取引に敗北せざるを得なかった。
 私は女の店の酒を平然と飲み倒した。あまたの友人をつれこんで、乱酔した。嵐であった。平和な家を土足で掻きまわしているような苦しさを、つとめて忘れて、私は日ごとに荒れはてた。
 私は下宿へ女を一歩も寄せつけなかったが、時々女の店へ泊った。店の二階は一間しかない。女も女給たちも、五六人がそこへゴチャゴチャ入りみだれて眠る。私の泊る部屋も、そこしかなかった。私は平然と、女とたわむれる。女給たちは、ねたフリをしている。白々と明ける部屋に、ふと目がさめると、女給たちの大きな尻があらわに入りみだれている。あの女給たちは、ズロースをぬいで、ねむるのである。彼女らは、あの男、この男と、代りばんこに泊り歩いて、店へ戻ると、ダタイの妙薬と称する液汁をのみ、ゲーゲー吐いているのであった。
 金のある時は、いつも、よそで遊んでいた。その遊び先で、二人の珍妙な友人ができて、彼らは時々私の下宿へ遊びにきた。
 一人は通称「三平」とよぶ銀座の似顔絵描きであった。三平はアルコール中毒で、酒がきれると、ぶる/\ふるえ、いそいでコップ酒をひッかけてくる。時々私と腰をすえて飲みだすと、さのみ私の酔わぬうちに泥酔して、アヤツリ人形が踊るような、両手を盲が歩くように前へつきのばし、ピョン/\と跳ねるような不思議な千鳥足となり、あげくに吐いて、つぶれてしまう。殆んど食事をとらず、アルコールで生きているようなもので、そのくせ一時に大量は無理のようで、衰弱しきっていたのである。
 三平はバーを廻って酔客の似顔絵をかく。ノミシロを稼ぐと、さッさと、やめる。必要のノミシロ以上は決して仕事をしなかったが、人が困っているのを見ると、一稼ぎして、人にくれてやることは時々あった。夏冬一枚のボロ服だけしかなかったが、私を訪ねてくる時には、失礼だから、と、秋の頃にもユカタをきてくる。このユカタは肩がほころびて、もげそうに垂れ、帯の代りにヒ…

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