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碁にも名人戦つくれ
ごにもめいじんせんつくれ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 07」 筑摩書房
1998(平成10)年8月20日
初出「毎日新聞 大阪版 第二三七九〇号」1949(昭和24)年5月29日
入力者tatsuki
校正者砂場清隆
公開 / 更新2008-04-29 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 十何年前のことだが本因坊秀哉名人と呉清源(当時五段ぐらいだったと思う)が争碁を打ったころは碁の人気は頂点だった。当時の将棋は木村と金子が争っていたが、人気はなかった。近ごろの将棋名人戦のすごい人気に比べて碁の方は忘れ去られた淋しさである。
 将棋の人気はいうまでもなく実力第一人者を争う名人戦の人気である。昨日の名人もひとたび棋力衰えるや平八段となり時にBC級へ落ちることもなきにしもあらずである。実力だけで争う勝負というものは残酷きわまるものである。その激しさ、必死の力闘が人気を生むのである。
 碁の本因坊戦ときてはたかが一家名をつぐだけのことにすぎない。今日の新時代では法律的にすら家名が失われているのに本因坊という一家名を争うことがすでにコッケイであり、事実においてその試合内容も棋院大手合を第一義に、ただ二義的な花相撲的な空虚な景気をあおっているにすぎない。生死を賭した力闘は見られないのである。
 碁も名人戦をやらねばならぬ。実力第一人者を争うギリ/\の勝負でなければ決して天下の人気をわかすことはできない。伝えきくところによれば目下の棋士の力では名人戦を争うと結局名人位が呉八段に行く、つまり中国へ持って行かれてしまう、それを怖れているのだという巷説であるが、こんなバカな話はない。
 今日の日本に於てはチェスに於て、またあらゆる外国種のスポーツに於て、各々の日本の選手たちは世界の選手権をめざして精進しているのである。碁の選手権が中国へ持って行かれるそのことだけでも、すでに碁の世界化、世界的進出を意味する慶賀すべきことではないか。誰が日本の国技ときめたわけでもないのに小さなカラにとじこもって日本人だけで一家ダンラン、あげくは一家名の争いという花相撲でお茶をにごして世間に通用させようという。ダメですよ、世間が通用させてくれません。
 実質がなければ人気はでない。大衆は正直なものだ。プロ野球に人気がでたのも実力が向上し、監督がブン殴り合ったりするほど試合というものに精魂をこめ選手権をめざして必死の力闘をするからである。名人位がどこの国へ持って行かれようと真に実力ある者が名人になるのは当然で文句のあるべき筋はなく、かくの如きに真の実力を争うことによって大衆はその力闘にカッサイを惜しまないものである。
 呉清源を加えて名人位を争うのでなければ碁は世間の片隅の幇間的存在として危く寄生するようなカタワな存在となるだけのことであろう。



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