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安吾巷談
あんごこうだん
作品ID43176
副題05 湯の町エレジー
05 ゆのまちエレジー
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 08」 筑摩書房
1998(平成10)年9月20日
初出「文藝春秋 第二八巻第六号」1950(昭和25)年5月1日
入力者tatsuki
校正者宮元淳一
公開 / 更新2006-02-09 / 2015-06-20
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 新聞の静岡版というところを見ると、熱海を中心にした伊豆一帯に、心中や厭世自殺が目立って多くなったようである。春先のせいか、特に心中が多い。
 亭主が情婦をつれて熱海へ駈落ちした。その細君が三人だか四人だかの子供をつれて熱海まで追ってきて、さる旅館に投宿したが、思いつめて、子供たちを殺して自殺してしまった。一方、亭主と情婦も、同じ晩に別の旅館で心中していた。細君の方は、亭主が心中したことを知らず、亭主の方は、女房が子供をつれて熱海まで追ってきて別の旅館で一家心中していることを知らなかった。亭主と細君は各々の一方に宛てゝ、一人は陳謝の遺書を、一人は諌言の遺書をのこして、同じ晩に、別々に死んだのである。
 偶然の妙とも云えるが、必然の象徴とも云える。夫婦の一方が誰かと心中する時期は、残る一方が一家心中したくなる時期でもあろうからである。近松はこれを必然の象徴とみて一篇の劇をものすかも知れないが、近代の批判精神は、これをあくまで偶然と見、茶番と見る傾向に進みつつあると云えよう。古典主義者はこれを指して、近代の批判精神はかくの如くに芸術の退化を意味すると云うかも知れぬ。
 温泉心中もこれぐらい意想外のものになると別格に扱われるが、新聞の静岡版というものは、普通、官報の辞令告示のように、毎日二ツ三ツの温泉自殺を最下段に小さく並べている。静岡版の最下段は温泉自殺告示欄というようなものだ。その大多数は熱海で行われる。
 そこで、今年になって、熱海の市会では、自殺者の後始末用として、百万円の予算をくんだそうだ。
 所持金使い果してから死ぬのが自殺者の心理らしい。稀には、洋服を売って宿賃にかえてくれ、などゝ行届いた配慮を遺書にのこして死ぬ者もあるが、屍体ひきあげ料、棺桶料金まで配慮してくれる自殺者はいないので、伊豆の温泉のお歴々が嘆くのである。コモ一枚だってタダではない。実に、物価は高いです。それが毎日のことではないですか。ああ。熱海市会は百万円のタメ息をもらす。
 大島の三原山自殺が盛大のころは、こうではなかった。光栄ある先鞭をつけた何人だかの女学生は、三原山自殺の始祖として、ほとんど神様に祭りあげられていた。後につゞく自殺者の群によってではなく、地元の島民によってである。何合目かの茶店の前には、始祖御休憩の地というような大きな記念碑が立っていたのである。
 大島は地下水のないところだから、畑もなく、島民はもっぱら化け物のような芋を食い、栄養補給にはアシタッパ(又は、アスッパ)という雑草を食い、牛乳をのんでいた。アシタッパという雑草は、今日芽がでると明日は葉ッパが生じるという意味の名で、それぐらい精分が強いという。大島の牛はそれを食っているから牛乳が濃くてうまいという島民の自慢だ。
 三原山が自殺者のメッカになるまで、物産のない島民は米を食うこともできなかった。自殺者と、そ…

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