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我が人生観
わがじんせいかん
副題04 (四)孤独と好色
04 (し) こどくとこうしょく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 09」 筑摩書房
1998(平成10)年10月20日
初出「新潮 第四七巻第九号」1950(昭和25)年9月1日
入力者tatsuki
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2006-05-07 / 2014-09-18
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 下山事件が他殺か自殺か我々には分らない。しかし科学が証明した結論を信用する方が穏当だから、一応他殺としておくことに異論はない。もっとも今の鑑識科学というものが、どこまで正確なものか、これも素人には見当のつかないものである。
 私は自殺説をとるわけではない。しかし下山氏の場合に、自殺も甚しく可能であったとは思っている。
 私自身の経験から考えて、突発的にメランコリイにおちこむ場合と、ジリジリふさぎこんで衰弱狂化していく場合と、同一人でも二ツの場合がありうるものだ。しかし本人にとっては、どッちでも変りのないものであるが、他人の目から見て、別の場合に見えるにすぎないものである。
 他人の目には突発的でも、当人にはそうではなくて、他人には分らないように、努力し、抑制していたものだ。この場合、彼のメランコリイは彼自身の抵抗にさえぎられて外面へ発散することを抑えられているが、病状は悪化し、隙間を狙ってとびだそうとしている。彼が大きな抵抗力を持っていれば、ついに噴火に至らずに、沈静する時期がくるかも知れない。そして彼は健全で道徳的な模範的人間として人々に賞讃されて生涯を終るかも知れない。そしてこれはあらゆる人間に当てはまることでもある。
 一般家庭には、女房をぶッたり蹴ったり、するのが多い。そして、そういう人たちは、あのウチはまた始まったぜと人々に笑われても、病的だとは思われず、人間とはそんなものだと思われて、一生を終るのである。
 そのように単純に発散できない人々もある。彼は道徳的にそうすることができないのである。彼は自分の人間的弱点に道徳的に、又は責任感や義務感などから、抵抗する。けれども遂に抵抗が衰えて、トルストイのような老齢に至って家出して野たれ死ぬようなこともある。これを時間を狂わして、トルストイが家出する前に気力衰え、家出に至らずして瀕死の病床につき、臨終に至って噴火的な発作や、ケイレン的なウワゴトや狼藉を起したとしても、人はそれを死病のせいで、なんでもないと思うであろう。
 多くの人々は自分の病気には気附かず、抵抗し、抑圧しているものであるが、又、もっと巧みに、病気をいなし、自家流の療法を自然に実行しているものである。時々の旅行のようなこと、スポーツ、魚釣り、各人各様に息ぬきを見つけ、気附かぬ病気を巧妙にいなしているものである。
 私の場合で云うと、私は居を移すクセがあった。どうしても、そうせずにいられなくなり、いたたまらなくなって、突如として居を移している。学生時代は単に引越しで、距離的にも百米、千米足らずのものであったが、だんだん距離がのびて、家出となり、放浪となった。三十歳以後は東京から京都――東京――取手(茨城県)――小田原――東京。だいたい、一年三四ヶ月の長いものから、十一ヶ月の短いものまで、一年前後の周期で移動していた。
 私のような身軽な者は…

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