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大菩薩峠
だいぼさつとうげ
作品ID4320
副題27 鈴慕の巻
27 れいぼのまき
著者中里 介山
文字遣い新字新仮名
底本 「大菩薩峠11」 ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日
入力者tatsuki
校正者原田頌子
公開 / 更新2004-03-19 / 2014-09-18
長さの目安約 146 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

         一

 天井の高い、ガランとした田舎家の、大きな炉の傍に、寂然として座を占めているのが弁信法師であります。
 時は夜であります。
 弁信の坐っている後ろには、六枚屏風の煤けたのがあって、その左に角行燈がありますけれど、それには火が入っておりません。
 自在鉤には籠目形の鉄瓶がずっしりと重く、その下で木の根が一つ、ほがらほがらと赤い炎を立てている。
 この田舎家の木口というものが大まかな欅作りで、鉋のはいっていない、手斧のあとの鮮かなところと、桁梁の雄渾(?)なところとを見ても、慶長よりは古くなく、元禄よりも新しくない、中通りの農民階級の家づくりであることはたしかであります。
 さてまた、弁信の頭の上の高い天井は、炉の煙を破風まで通すために、丸竹の簀子になっていて、それが年代を経ているから、磨けば黒光りに光るいぶしを包んだ煤が、つづらのように自在竹の太いのにからみついて落ちようとしている。
 そこで、弁信は、熊の皮の毛皮でもあるような敷物をしき込んで、寂然として、何物にかしきりに耳を傾けているのであります。
 特に念を入れて何物をか聞き出そうとしないでも、ただこうして坐っていさえすれば、弁信そのものの形が、非相非々相界のうちの何物かのささやきを受入れようとして、身構えているもののようにも受取られることであります。
 果して、こうしていると、弁信の耳に、あらゆる雑音が聞え出しました。
 聞えるのではない、起るのであります。それは非常なるあらゆる種類の雑音が、弁信の耳の中から起りました。
 そうでしょう、この田舎家の存在するところは、内部から見ては、日本の国のドノ地点にあるかわからないが、通常の人がこの中に坐っていれば、それは深山幽谷の中か、そうでなければ、人里に遠い平野の中の一つ家としか思われないことであります。
 この一つ家の中には、弁信その人のほかには、絶えて人間の気配のするものを容れていないと同じく、その煤けた天井には鼠の走る音もあるのではなく、その外壁のあたりに、鶏犬の声だも起らない。周囲に谷川のせせらぎすらも聞えない。軒端を渡る夜風のそよぎすら聞えないところを以て見れば、万籟死したりと感ずるのは無理もありません。
 しかし、夜というものは一体に、沈静と、回顧とを本色とするものですから、普通平凡な景色も、夜の衣をかけて見ると、少なくも一世紀の昔へ返して見ることができるものですから、まして夜更け、人定まった際においては、都会の真中にあってさえ、太古の色をぼかして見せることもあるのですから、ここの深夜の弁信のいるところも、存外、人間臭いところであるかも知れません。
 ところで、空寂と、沈静と、茫漠と、暗黒と、孤独とは、形の通りで、弁信なればこそ、仔細らしく耳を傾けて何物をか聞き取ろうと構えているように見えるものの、余人であってみれば、聞き取…

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