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椋の実の思出
むくのみのおもいで
作品ID43275
著者新美 南吉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「校定 新美南吉全集第二巻」 大日本図書
1980(昭和55)年6月30日
初出「柊陵 第九号」1928(昭和3)年2月
入力者高松理恵美
校正者川向直樹
公開 / 更新2004-11-11 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 それは秋のこと――。丁度尋常五年の今頃だつた。いつもの樣に、背戸川の堤の上に青々と繁つて高く突き立つて居る椋の木に登つて、繁と、正彦と、勝次と、それから僕との四人は樂しく遊んで居た。
 背戸川は長い照りでかんからだつた。川上の方からころがつて來た小さな圓い礫が一ぱい敷きつめてゐる上を、赤とんぼが可愛い影を落しながらスイスイと飛んでゐた。
 皆は何事も忘れて、たゞ椋の實を採る事に夢中だつた。
 小さな青い椋の實を澤山採つてもみがらの中に入れて置くと、丁度霜が下りて寒くなる頃には黒く軟かくなる。竹馬に乘つて日當のいゝお寺の白壁にもたれながら、それを頬張るのはとてもうまい。それで、誰よりも自分が澤山とらうと、成るべく高い成るべく人の行つた事もない枝へ登つて行く。
 小さくて身輕な勝次は今まで誰一人行つた者のないらしい場所に、枝もたはむ程になつてゐる青い椋の木を見つめながら、赤い頬に笑を浮べて叫んだ。「今に見てろ! 俺が誰よりも澤山採つて來るからツ。」それから皆は自分の事をも打忘れ、勝次が夥しい椋の實を貪り採つてゐる嬉しさうな姿を羨しく見つめてゐた。勝次はやがてふつくらとふくらんだ懷をおさへながら、復枝を傳ひかけた。その時の彼の顏は本當に得意さうだつた。が、その時……。みなは齊しく驚きの眼を見張つた。と、その瞬間、彼の身體は毬の樣に下へ落ちて行くのだつた。皆が驚いてやつと木から下りた時には、勝次の身體は冷たい石の上にうつむいて横たはつてゐた。彼の懷からは青い椋の實が四邊へ散りこぼれ出してゐた。
 勝次は足を折つて皆に運ばれ、遂に遠くの病院へかつがれて行つた。そして未だに村へは歸つて來ないのだ。皆が先生に何度もきいた事もあつた。けれどもやつぱり先生も何にも知らないらしい。今は背戸川のかんからの時だ。勝次の懷からこぼれ出たやうな青い椋の實が、今もあの石の四邊には散りこぼれてゐるだらうが、勝次は一體どうしてゐるだらう――。



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