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妾の半生涯
わらわのはんせいがい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「妾の半生涯」 岩波文庫、岩波書店
1958(昭和33)年4月25日
初出「妾の半生涯」東京堂、1904(明治37)年10月25日
入力者林幸雄
校正者松永正敏
公開 / 更新2005-08-09 / 2014-09-18
長さの目安約 130 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     はしがき

 昔はベンジャミン・フランクリン、自序伝をものして、その子孫の戒めとなせり。操行に高潔にして、業務に勤勉なるこの人の如きは、真に尊き亀鑑を後世に遺せしものとこそ言うべけれ。妾の如き、如何に心の驕れることありとも、いかで得て企つべしと言わんや。
 世に罪深き人を問わば、妾は実にその随一ならん、世に愚鈍なる人を求めば、また妾ほどのものはあらざるべし。齢人生の六分に達し、今にして過ぎ来し方を顧みれば、行いし事として罪悪ならぬはなく、謀慮りし事として誤謬ならぬはなきぞかし。羞悪懺悔、次ぐに苦悶懊悩を以てす、妾が、回顧を充たすものはただただこれのみ、ああ実にただこれのみ也。
 懺悔の苦悶、これを愈すの道はただ己れを改むるより他にはあらじ。されど如何にしてかその己れを改むべきか、これ将た一の苦悶なり。苦悶の上の苦悶なり、苦悶を愈すの苦悶なり。苦悶の上また苦悶あり、一の苦悶を愈さんとすれば、生憎に他の苦悶来り、妾や今実に苦悶の合囲の内にあるなり。されば、この書を著すは、素よりこの苦悶を忘れんとての業には非ず、否筆を執るその事もなかなか苦悶の種たるなり、一字は一字より、一行は一行より、苦悶は弥[#挿絵]勝るのみ。
 苦悶はいよいよ勝るのみ、されど、妾強ちにこれを忘れんことを願わず、否昔懐かしの想いは、その一字に一行に苦悩と共に弥増すなり。懐かしや、わが苦悶の回顧。
 顧えば女性の身の自ら揣らず、年少くして民権自由の声に狂し、行途の蹉跌再三再四、漸く後の半生を家庭に托するを得たりしかど、一家の計いまだ成らざるに、身は早く寡となりぬ。人の世のあじきなさ、しみじみと骨にも透るばかりなり。もし妾のために同情の一掬を注がるるものあらば、そはまた世の不幸なる人ならずばあらじ。
 妾が過ぎ来し方は蹉跌の上の蹉跌なりき。されど妾は常に戦えり、蹉跌のためにかつて一度も怯みし事なし。過去のみといわず、現在のみといわず、妾が血管に血の流るる限りは、未来においても妾はなお戦わん。妾が天職は戦いにあり、人道の罪悪と戦うにあり。この天職を自覚すればこそ、回顧の苦悶、苦悶の昔も懐かしくは思うなれ。
 妾の懺悔、懺悔の苦悶これを愈すの道は、ただただ苦悶にあり。妾が天職によりて、世と己れとの罪悪と戦うにあり。
 先に政権の独占を憤れる民権自由の叫びに狂せし妾は、今は赤心資本の独占に抗して、不幸なる貧者の救済に傾けるなり。妾が烏滸の譏りを忘れて、敢えて半生の経歴を極めて率直に少しく隠す所なく叙せんとするは、強ちに罪滅ぼしの懺悔に代えんとには非ずして、新たに世と己れとに対して、妾のいわゆる戦いを宣言せんがためなり。
[#改ページ]

  第一 家庭


 一 贋いもの

 妾は八、九歳の時、屋敷内にて怜悧なる娘と誉めそやされ、学校の先生たちには、活発なる無邪気なる子と可愛がられ、十一、二歳…

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