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二科展院展急行瞥見
にかてんいんてんきゅうこうべっけん
作品ID43286
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第八巻」 岩波書店
1997(平成9)年7月7日
初出「中央美術」1933(昭和8)年10月1日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-09-13 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九月三日は朝方荒い雨が降った、やがて止んだが重苦しい蒸暑さがじりじりと襲って来た。仕事をしていると『中央美術』から電話が掛かって今日が二科会展覧会の招待日であることを想い出させられた。数年前まではこの日を指折り数えて楽しみにしていたのが、近年どうしたわけか、急に興味が減退した。今年はとうとう肝心の日をすっかり忘れてしまっていたのである。甚だ申訳ない次第である。これは一つには自分がだんだん年を取ってすべてのものに対する感興の強度を減らしたためもあるかもしれないが、一つにはまた実際に近頃の二科会の絵の傾向が自分の好みに背馳して来たように思われたためもある。昨年の会など、見ているうちに何だか少しむっとするような気がして来てとうとう碌に見ないで帰って来て、それきりもう二度とは入場しなかったくらいである。勿論これは二科会の責任ではなくてただ自分という一人の人間の勝手な気持によるものである。しかし今年は「回顧陳列」というのがあるというので、これだけはぜひ見たいと思っていたものを、それすら当日の朝は綺麗に忘れてしまっていたのである。これは耄碌と云われても仕方がない。
 昼過ぎに上野へ出掛けたが、美術館前の通りは自動車で言葉通りに閉塞されていた。これも近年の現象である。美術が盛んになったのではなくて自動車が安くなったのであろう。
 場内は蒸暑さに茹だるようであった。この美術館の設計はたしかに日本の気候が西洋の気候とちがうという事実を知らないか、無視した人の設計である、といつも思うことである。
 蒸暑さが丁度大正十二年九月一日の二科招待日を想い出させた。あの日も、午前に狂雨が襲来して、それが晴れ上がってからあの大地震が来た。今日の天候によく似ている。しかし昨朝八丈島沖に相当な深層地震があったのでそれで帳消しになったのかもしれない。あの日は津田君の「出雲崎の女」が問題になっていて、喫茶室で同君からそのゆきさつの物語を聞いているうちに震り出したのであった。その津田君は今年はもう二科には居なくなったのである。
 回顧室に這入るとI君に会った。「どうも蒸暑い」というとI君は「絵もアツイ絵ばかりだから」という。
 この室のものはさすがになつかしいものばかりである。斎藤豊作氏の「落葉する野辺」など昔見たときは随分けばけばしい生ま生ましいもののような気がしたのに、今日見ると、時の燻しがかかったのか、それとも近頃の絵の強烈な生ま生ましさに馴れたせいか、むしろ非常に落着いたいい気持のするのは妙なものである。坂本繁二郎氏のセガンチニを草体で行ったような牛の絵でも今見てもちっとも見劣りがしない。安井氏のを見ると同氏帰朝後三越かどこかであった個人展の記憶が甦って来て実に愉快である。山下氏のでも梅原氏のでも、近頃のものよりどうしても両氏の昔のものの方が絵の中に温かい生き血がめぐっているような気がする…

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