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鱗粉
りんぷん
作品ID43438
著者蘭 郁二郎
文字遣い新字新仮名
底本 「怪奇探偵小説名作選7 蘭郁二郎集 魔像」 ちくま文庫、筑摩書房
2003(平成15)年6月10日
初出「探偵春秋」春秋社、1937(昭和12)年3月号
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2006-12-20 / 2014-09-18
長さの目安約 55 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 海浜都市、K――。
 そこは、この邦に於ける最も華やかな、最も多彩な「夏」をもって知れている。
 まこと、K――町に、あの爽やかな「夏」の象徴であるむくむくと盛り上った雲の峰が立つと、一度にワーンと蜂の巣をつついたような活気が街に溢れ、長い長い冬眠から覚めて、老も若きも、町民の面には、一様に、何となく「期待」が輝くのである。実際、この町の人々は、一ヶ年の商を、たった二ヶ月の「夏」に済ませてしまうのであった。
 七月!
 既に藤の花も散り、あのじめじめとした悒鬱な梅雨が明けはなたれ、藤豆のぶら下った棚の下を、逞ましげな熊ン蜂がねむたげな羽音に乗って飛び交う……。
 爽かにも、甘い七月の風――。
 とどろに響く、遠い潮鳴り、磯の香――。
「さあ、夏だ――」
 老舗の日除は、埃を払い、ペンキの禿げた喫茶店はせっせとお化粧をする――若い青年たちは、又、近く来るであろう別荘のお嬢さんに、その厚い胸板を膨らますのである。
 海岸には、思い立ったように、葭簀張りのサンマアハウスだの、遊戯場だの、脱衣場だのが、どんどん建てられ、横文字の看板がかけられ、そして、シャワーの音が奔る――。
 ドガァーン。ドガァーン。
 海岸開きの花火は、原色に澄切った蒼空の中に、ぽかり、ぽかりと、夢のような一塊りずつの煙りを残して海面に流れる。
 ――なんと華やかな海岸であろう。
 まるで、別の世界に来たような、多彩な幕が切って落されるのだ。
 紺碧の海に対し、渚にはまるで毒茸の園生のように、強烈な色彩をもったシーショアパラソル、そして、テントが処せまきまでにぶちまかれる。そこには、その園生の精のような溌剌とした美少女の群れが、まる一年、陽の目も見なかった貴重な肢体を、今、惜気もなく露出し、思い思いの大胆な色とデザインの海水着をまとうて、熱砂の上に、踊り狂うのである。
 ――なんと自由な肢体であろう。
 それは、若き日にとって、魅力多き賑わいである。

      二

 胸を病んだ白藤鷺太郎は、そのK――町の片隅にあるSサナトリウムの四十八号室に居た。
 あの強烈な雰囲気に溢れたY海岸からは、ものの十五丁と離れぬ位、このサナトリウムだのに、恰度其処が、崖の窪みになっていて、商店街からも離れていたせいか、一年中まるでこの世から忘れられたように静かだった。
 然し、このサナトリウムにも、夏の風は颯爽と訪れて来る。白藤鷺太郎は、先刻からの花火の音に誘われて、二階の娯楽室から、松の枝越しに望まれる海の背に見入っていた。
 ポーン、と乾いた音がすると、ここからもその花火の煙りが眺められるのである。
(今日は、海岸開きだな……)
 鷺太郎は早期から充分な療養をした為、もういつ退院してもいい位に恢復していた。だが、折角のこのK――の夏を見棄て周章て、東京に帰るにも及ぶまい、という気持と、…

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