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国民と思想
こくみんとしそう
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2004-11-15 / 2014-09-18
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     (1)[#「(1)」は縦中横] 思想上の三勢力

 一国民の心性上の活動を支配する者三あり、曰く過去の勢力、曰く創造的勢力、曰く交通の勢力。
 今日の我国民が思想上に於ける地位を詳らかにせんとせば、少なくとも右の三勢力に訴へ、而して後明らかに、其関係を察せざる可からず。
「過去」は無言なれども、能く「現在」の上に号令の権を握れり。歴史は意味なきペーヂの堆積にあらず、幾百世の国民は其が上に心血を印して去れり、骨は朽つべし、肉は爛るべし、然れども人間の心血が捺印したる跡は、之を抹すべからず。秋果熟すれば即ち落つ、落つるは偶然にして偶然にあらず、春日光暖かにして、百花妍を競ふ、之も亦偶然にあらず、自然は意味なきに似て大なる意味を有せり、一国民の消長窮通を言ふ時に於て、吾人は深く此理を感ぜずんばあらず。引力によりて相繋纏する物質の力、自由を以て独自卓犖たる精神の力、この二者が相率ひ、相争ひ、相呼び、相結びて、幾千幾百年の間、一の因より一の果に、一の果より他の因に、転々化し来りたる跡、豈に一朝一夕に動かし去るべけんや。
 然れ共「過去」は常に死に行く者なり。而して「現在」は恒に生き来るものなり。「過去」は運命之を抱きて幽暗なる無明に投じ、「現在」は暫らく紅顔の少年となりて、希望の袂に縋る。一は死て、一は生く、この生々死々の際、一国民は時代の車に乗りて不尽不絶の長途を輪転す。
 何れの時代にも、思想の競争あり。「過去」は現在と戦ひ、古代は近世と争ふ、老いたる者は古を慕ひ、少きものは今を喜ぶ。思想の世界は限りなき四本柱なり。梅ヶ谷も爰にて其運命を終りたり、境川も爰にて其運命を定めたり、凡そ爰に登り来るもの、必らず又た爰を去らざる可からず。この世界には永久の桂冠あると共に、永久の義罰あり。この世界には曾つて沈静あることなく、時として運動を示さゞるなく、日として代謝を告げざるはなし。主観的に之を見る時は、此の世界は一種の自動機関なり、自ら死し、自ら生き、而して別に自ら其の永久の運命を支配しつゝあるものなり。
 一国民に心性上の活動あるは、自由党あるが故にあらず、改進党あるが故にあらず、彼等は劇塲に演技する優人なれども、別に書冊の裡に隠れて、彼等の為に台帳を制する作者あるなり。偉大なる国民には必らず偉大なる思想あり。偉大なる思想は一投手、一挙足の間に発生すべきにあらず、寧んぞ知らん、一国民の耐久的修養の力なるものを俟つにあらざれば、蓊欝たる大樹の如き思想は到底期すべからざるを。
 過去の勢力は之を軽んずべからず、然れども徒らに過去の勢力に頑迷して、乾枯せる歴史の槁木に夢酔するは豈に国民として、有為の好徴とすべけんや。創造的勢力は、何れの時代にありても之を欠く可からず。国民の生気は、その創造的勢力によつて卜するを得べし。尤も多く保守的なるとき、尤も多く固形的なる時、国民…

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