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人生に相渉るとは何の謂ぞ
じんせいにあいわたるとはなんのいいぞ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1974(昭和44)年6月5日
初出「文學界 二號」女學雜誌社、1893(明治26)年2月28日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2005-03-02 / 2014-09-18
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 繊巧細弱なる文学は端なく江湖の嫌厭を招きて、異しきまでに反動の勢力を現はし来りぬ。愛山生が徳川時代の文豪の遺風を襲ひて、「史論」と名くる鉄槌を揮ふことになりたるも、其の一現象と見るべし。民友社をして愛山生を起たしめたるも、江湖をして愛山生を迎へしめたるも、この反動の勢力の欝悖したる余りなるべし。
 反動は愛山生を載せて走れり。而して今や愛山生は反動を載せて走らんとす。彼は「史論」と名くる鉄槌を以て撃砕すべき目的を拡めて、頻りに純文学の領地を襲はんとす。反動をして反動の勢を縦にせしむるは余も異存なし、唯だ反動を載せて、他の反動を起さしむるまで遠く走らんとするを見る時に、反動より反動に漂ふの運命を我が文学に与ふるを悲しまざる能はず。愛山生は、文章即ち事業なる事を認めて、「頼襄論」の冒頭に宣言せり。何が故に事業なりや。愛山生は之を解いて曰く、 第一 為す所あるが為なり。 第二 世を益するが故なり。 第三 人世に相渉るが故なりと。
 而して彼は又た文章の事業たるを得ざる条件を挙げて曰く、 第一 空を撃つ剣の如きもの。 第二 空の空なるもの。 第三 華辞妙文の人生に相渉らざるもの。而して彼は此冒頭を結びて曰く「文章は事業なるが故に崇むべし、吾人が頼襄を論ずる、即ち渠の事業を論ずるなり」と。
 大丈夫の一世に立つや、必らず一の抱く所なくんばあらず、然れども抱く所のもの、必らずしも見るべきの功蹟を建立するにはあらず。建築家の役々として其業に従ふや、幾多の歳月を費して後、確かに巍乎たる楼閣を起すの算あり。然れども人間の霊魂を建築せんとするの技師に至りては、其費やすところの労力は直ちに有形の楼閣となりて、ニコライの高塔の如く衆目を引くべきにあらず。衆目衆耳の聳動することなき事業にして、或は大に世界を震ふことあるなり。
 天下に極めて無言なる者あり、山岳之なり、然れども彼は絶大の雄弁家なり、若し言の有無を以て弁の有無を争はゞ、凡ての自然は極めて憫れむべき唖児なるべし。然れども常に無言にして常に雄弁なるは、自然に加ふるものなきなり。人間に若し自然の如く無言なるものあらば、愛山生一派の論士は其の傍に来りて、爾何ぞ能く言はざると嘲らんか。
 人間の為すところも亦斯の如し。極めて拙劣なる生涯の中に、尤も高大なる事業を含むことあり。極めて高大なる事業の中に、尤も拙劣なる生涯を抱くことあり。見ることを得る外部は、見ることを得ざる内部を語り難し。盲目なる世眼を盲目なる儘に睨ましめて、真贄なる霊剣を空際に撃つ雄士は、人間が感謝を払はずして恩沢を蒙むる神の如し。天下斯の如き英雄あり、為す所なくして終り、事業らしき事業を遺すことなくして去り、而して自ら能く甘んじ、自ら能く信じて、他界に遷るもの、吾人が尤も能く同情を表せざるを得ざるところなり。
 吾人は記憶す、人間は戦ふ為に生れたるを。戦ふは戦ふ…

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