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染織に関する文献の研究
せんしょくにかんするぶんけんのけんきゅう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第八卷」 筑摩書房
1969(昭和44)年8月20日
初出「古代織物」1925(大正14)年5月
入力者はまなかひとし
校正者土屋隆
公開 / 更新2004-11-25 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 織物の發達は、世界の古い國々に於ても、支那は其の最も勝れた國であつて、殊に蠶絲の發達が古代からあつて、之を西洋の方にも輸出したのは前漢頃からでもあらうかと思はれ、日本に輸出されたのは後漢頃からではあるまいかと思はれる。兎も角絹の生産地として大變古い歴史を持つて居るのである。其の文獻に現はれたのも隨分古いので、先秦の古書と謂はれる尚書、詩經、周禮、爾雅といふ樣な書籍に見えて居つて、中にも尚書の益稷篇――今文尚書で言へば皐陶謨の一部であるが――に所謂虞の十二章と謂ふものが見えて居る。それは一部分は繪即ち書き文樣とも考ふべきものであつて、一部分は繍即ちヌヒである。恐らく衣服に關する文樣として最も古いものは、此の書文樣、ヌヒ文樣から出たと云ふことを考へ得られるであらう。其の中で日月星辰山龍華蟲は、繪即ち書き文樣であつて、藻火粉米黼黻は繍即ちヌヒ文樣である。かう謂ふものが何代頃から在つたかは、尚書に見えて居つても、もとより確實には知り得ないが、その原始的である點から見て餘程古いものと考へられるのである。
 尚書の禹貢篇に至つては、織物に關する記事が種々載つて居るが、其の中で最も注意すべきものは織文、織貝である。織文は古くから錦綺の類だと解釋せられて居るが、是は染色は一定して居つて、織方によつて文樣が色々にあらはれるのであらうかと思はれる。織貝に至つては昔から説が二つに分れて居つて、僞古文尚書の説では、織は細紵なりと解し、貝を水物と解して居るので、貝の方は織物と關係無い樣であるが、此の説は謬つて居ると謂はれて居る。貝といふのも、やはり織物であつて、詩經の中にも貝錦とあるから、貝は一種の錦の名稱であるといふのが正しい。此の織物はやはりいろ/\に染めた絲を織ると一種の文樣が出來る者で、所謂織色といふ樣なもので、織りあげた結果、一種の色の出るものであらうと思はれる。此等は隨分古くから織物の發達したといふことを徴すべきものである。其の外、[#挿絵]若しくは帛といふ文字の如きは、絹織物の總名として使用せられて居つたので、其の産出が尠なからざりしことを推測することが出來る。
 又染物のことに就いても爾雅に、
一染謂之※[#「糸+原」、39-7]。再染謂之[#挿絵]。三染謂之※[#「糸+熏」、39-7]。
とあり、又周禮の考工記には、
三入爲※[#「糸+熏」、39-9]。五入爲※[#「糸+取」、39-9]。七入爲緇。
といふことがあつて、染物の發達も想像せられる。但然し之を實物に徴する事は今日では殆んど難かしい。支那に於ける從來の發掘品でも、發掘者の不注意の爲か、三代の織物が發掘せられたことは無い。其の時の製作法がずつと後世迄も傳はり、六朝から唐代迄傳はつた者があるかも知れぬ。例へば錦といふ樣な文字は、其の時分から後世迄共通されて居るけれども、果して三代の時の錦、例へば貝錦と六朝以…

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