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熱意
ねつい
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「評論 六號」女學雜誌社、1893(明治26)年6月17日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2005-05-06 / 2014-09-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 真贄の隣に熱意なる者あり。人性の中に若し「熱意」なる原素を取去らば、詩人といふ職業は今日の栄誉を荷ふこと能はざるべし。すべての情感の底に「熱意」あり。すべての事業の底に熱意あり。凡ての愛情の底に熱意あり。若しヒユーマニチーの中に「熱意」なるもの無かりせば、恐らく人間は歴史なき他の四足動物の如くなりしなるべし。
 労働と休眠は物質的人間の大法なり、然れども熱意は眠るべき時に人を醒ますなり。快楽と安逸は人間の必然の希望なり、然れども熱意は快楽と安逸とを放棄して、苦痛に進入せしむることあり。生は人の欲する所、死は人の恐るゝ所、然るに熱意は人をして生を捐て、死を甘受する事あらしむ。人間の事恒に「己」を繞りて成れり、己を去つて人間の活動なし、然るを熱意は往々にして「己」を離れ、身を軽んじて、「他」の為に犠牲とならしむる事あり。愛国家の心霊を鼓舞して、天下蒼生の為に、赫々たる功業を奏せしむるものもこの熱意なり。忠臣君の為に死し、孝子親の為に苦しむも、この熱意あればなり。恋人の相思も、讐仇の怨悪も、その原素に於ては即ち一なり。人間を高うするものも、人間を卑うするものも、義人を起すものも、盗児を生ずるものも、その原素に於ては、この熱意の外あることなし。
 熱意とは何ぞや。感情の激甚に外ならざるなり。感情の中の感情たるに外ならざるなり。且つ湧き且つ静まり、且つ燃え且つ消ゆる感情の、一定の事物の上に接続して、連鎖の如き現象を呈する者、即ち熱意なり。人間は道義的生命の中心として、愛を有つと共に、感情的生命の中心として熱意を有つなり。熱意は凡ての事業に結局を与ふる者なり。痴情の熱意には、痴情の結局を見るの意味あり。節義の熱意には、節義の結局を見るの意味あり。熱意は常に結局を睨んで立てり。熱意の終るところは結局にあり。
 人間の五官は、霊魂と自然との中間に立てる交渉器なり。霊魂をして自然を制せしむる是なり、而して人間の霊魂をして全く自然を離れて独立せしめざる者も、亦た是なり。霊魂の一側は常に此の交渉器を通じて、自然と相対峙す、而して霊魂の他の一側は、他の方面より「想像」の眼を仮りて、自然の向うを見るなり、自然を超えて、自然以外の物を視るなり。人に想像あるは、人に思求あるを示めす者なり。人に思求あるは、人に熱意あるを示めす者なり。熱意は冷淡と相反す。冷淡は人を閑殺し、熱意は人を活動的ならしむ。冷淡は思求なき時の心霊の有様にして、人生の意味少なき塲合を指すなり。
 幸福なる生涯には、熱意なる者少なし。熱意は不幸の友なり。熱意は悲哀の隣なり。幽沢邃谷の中に濃密なる雲霧を屯せしむ。平地には斯の如き事あらず。国乱れて忠臣興るなり。家破れて英児現はるゝなり。遂げ難き相思益[#挿絵]恋情を激発し、成し難きの事業愈[#挿絵]志気を奮励す。不幸の観念は何物をか捉へんとして、捉ふること能はざるより生ず…

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