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詩人論
しじんろん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「国民新聞」1893(明治26)年8月6日、12日、20日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2006-08-13 / 2014-09-18
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 秋の野に虫の声を聞く者、誰れか一種の幽味を感ぜざらん。渠れ唯己がまゝに鳴くなり、而も人をして凄絶[#挿絵]絶ならしむ、詩人の天地に於ける亦固より彼の音響なり、渠れ唯己がまゝに歌ふ、其節奏は固より彼れの節奏なり、其音響は固より彼の音響なり、而して其咨嗟咏歎する所以のものも亦固より彼れの自ら感じ自ら知る所なり。而して聞く者之が為めに悲喜交も至る。吾れ其然る所以を知らずして、終に彼れの為に化せらる。詩人は固より哲学を有す、彼れは自己の宇宙観と人生観とを有す。然れども彼れは哲学者の如く論理に因つて之を得ざるなり。彼れは論理以上の者を有す。彼れは論理の媒介に因つて天地を解釈せず。彼れは不思議なる直覚を以て直ちに天地と人生とを見る。彼は見る人なり、論ずる人に非ず、彼は感ずる人なり、解釈する人に非ず。斯の如くにして天地は彼れの為めに黙示となり、人生は彼れの為めに神秘となる。是に於て乎、彼れの歌ふ所は直ちに人心の深宮に徹す。
 詩人は多く鳥獣草木の名を知る。詩人は自然の韻府なり。然れども彼れは科学者の如くに自然を分析する者に非ず。彼れは自然の意味を知る。花鳥風月、渾て是れ自然が自己を彰はすべき形式たるに過ぎざるを知る。彼れは物質と機関との排列として自然を見る能はず、大なる意味、不思議なる運行を遂ぐる者として之れを見る。
 是に於て乎、応さに知るべし、詩人は一の奇蹟なり。彼れは学校にて製造し得べき者に非ず、他人の摸倣し得べき者に非ず。彼れは詩人として生れたり、彼れは詩人の骨を有して世に出でたり。宇宙は自己を歌ふべき者を生みたるなり。「処女妊みて子を生まん」其名は天地を讃る者、人生を慰むる者。
 果して然らば詩人は終に論ずべからざる乎、何ぞ其れ然らん。天如何にして詩人を生ぜし乎、是れ固より知るべからざる者なり。世如何にして詩人を起す乎、是れ或は揣摩すべき者なり。上天の事、生死の事は人智の達し得べき所に非ず、世界が詩人を遇し詩人が世界に対する状態に至つては必しも知り得べからざることにはあらず。
 生れたる者は多し、長ずる者は少なし、播かれたる種子は万、欝として陰を為すものは三四に過ぎず。詩人として生れたる幾多の人物は暗黒に生れて暗黒に死に、其声は聞へず、其歌は歌はれずして長へに眠れり。遇ま一世にもてはやされて、多く喝采せられ多く反響せられしものゝみ、天上の星の如く、歴史の長江を飾る者となりて、文学史と人名辞書に其名を止む。斯の如く一は顕はれ、一は隠るゝ所以の者は何ぞや。其重もなる理由は

    (一) 一は時代の最大必要を歌ひ、一は否なればなり。

 一世には一世の大希望あり、随つて大必要あり。君主擅制の時代には堯舜は歌はれざるべからず。何となれば唯堯舜のみ、此時代を極楽になすを得べければなり。何の為めに祖国の歌とマルセールの歌とは日耳曼と仏蘭西に歓迎せられしか、何の為めにウ…

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