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凡神的唯心的傾向に就て
はんしんてきゆいしんてきけいこうについて
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「国民新聞」1893(明治26)年4月16日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2006-08-14 / 2014-09-18
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 三個の青年、草庵に渋茶を煎じて炉を囲む、一人は円顱に道服を着たり、一人は黒紋付の上に袈裟を掛けたり、三人対座して清談久し。やがて其歌ふを聞けば曰く
天地乾坤みな一呑や草の庵
大千起滅す一塵の裡
味ひ得たり渋茶一ぱい
利刃一閃浮世を斬て真ッ二ツ
活血流れよ未来万年    (白表女学雑誌)
 嗚呼是れ健康なる思想の表彰として賀すべきの事なりや、抑も亦喟然として歎ずべきの事なりや。渇する者は飲を為し易く、飢へある者は食を為し易し、近来の傾向は歴史的也故に又回顧的也常感的也。マコレーに行きて厭く者はヱメルソンに復る也。シェーキスピーアに倦む者はトマス、エケンピスに復る也。歴史は人を受動的ならしむ、人は更に主動的の者を求む。歴史は人をして古今の人物に交はらしむ、人は更に離群索居独り静思を楽しまんと欲す。歴史は人を此世の事業に誘ふ人は更に永遠のものを求む、歴史は人に差別を教ふ人は更に無差別の境を求む、歴史的の傾向に次で来る者は必らず哲学的の傾向也。試みに之を歴史に徴すれば述而不レ作、信じて古を好みし儒教に次で起りしものは即ち黄老の教也。東漢名節を尚び三国功業を重んぜし後は即ち南北二朝の清談也。蘇氏の策論に殿せしものは即ち朱子の性理学也。吾人は今日に於て人心の哲学的に傾くを怪しまざる也、唯其久しく之れ飢渇せしが為めに善き物と悪しき物とを撰ばずして之を呑噬し終に不消化不健康なる思想を蔓延せしめんことを憂ふ。
 青帝駕を命じてより、武蔵野の草は様々色を表はしぬ、而して女学雑誌社と云へる花壇に咲きたる花は何となく、凡神的、唯心的の傾向を表はしぬ、女学雑誌には慥かに衝突せる二個の分子が存在するを見る。一方は即ち孤女院、貧民院等の義挙に同感を表する人情也、他方は即ち禅僧の如き山人の如き、世の所謂すね者の如き超然独を楽しむ主我的観念也。吾人は此二の者が幸にして相合せるを祝す。然れども荀卿性悪を唱へて李斯書を火にす、女学子若し今にして警醒せずんば天下を率ひて清談風話に溺らしむる者は女学子其一部の責に任ぜざるを得ず予は実に女学子を以て此傾向の代表者として一矢を向けざるを得ざるを悲しむ。
 吾人嘗て陶淵明幽居を写すの詩を読み、此間有二真意一、欲レ弁已忘レ言といふに至つて其自然と己とを合して自他を忘却し、非自覚的に自然を楽しむの妙を言顕はせしに敬服したりき。蓋し自然を楽しまんとせば先づ己れを殺して自然の流行に此身を投じ、「エクスタシイ」の境に至らざるを得ず。
 蕉翁が所謂「古池や蛙飛込む水の音」亦此意に外ならざる也。吾人は世の詩人が斯の如くなるを尤むる者に非ず、然れども若し是を以て一種の哲学となし、因て以て人事を律せんとするに至つては即ち大声叱呼して其非を鳴さゞるを得ず、而して世の短視なる者詩人の斯の如く説くを見て直ちに是れ詩人の哲学也と曰ひ明月や池を廻つて夜もすがらと歌ひし為めに芭蕉は斯…

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