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歌よみに与ふる書
うたよみにあたうるしょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「子規全集 第七卷 歌論 選歌」 講談社
1975(昭和50)年7月18日
初出「日本」1898(明治31)年2月12日~3月4日
入力者川向直樹
校正者土屋隆
公開 / 更新2010-02-27 / 2014-09-21
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

歌よみに與ふる書


 仰の如く近來和歌は一向に振ひ不申候。正直に申し候へば萬葉以來實朝以來一向に振ひ不申候。實朝といふ人は三十にも足らでいざ是からといふ處にてあへなき最期を遂げられ誠に殘念致し候。あの人をして今十年も活かして置いたならどんなに名歌を澤山殘したかも知れ不申候。兎に角に第一流の歌人と存候。強ち人丸赤人の餘唾を舐るでも無く固より貫之定家の糟粕をしやぶるでも無く自己の本量屹然として山嶽と高きを爭ひ日月と光を競ふ處實に畏るべく尊むべく覺えず膝を屈するの思ひ有之候。古來凡庸の人と評し來りしは必ず誤なるべく北條氏を憚りて韜晦せし人かさらずば大器晩成の人なりしかと覺え候。人の上に立つ人にて文學技藝に達したらん者は人間としては下等の地に居るが通例なれども實朝は全く例外の人に相違無之候。何故と申すに實朝の歌は只器用といふのでは無く力量あり見識あり威勢あり時流に染まず世間に媚びざる處例の物數奇連中や死に歌よみの公卿達と迚も同日には論じ難く人間として立派な見識のある人間ならでは實朝の歌の如き力ある歌は詠みいでられまじく候。眞淵は力を極めて實朝をほめた人なれども眞淵のほめ方はまだ足らぬやうに存候。眞淵は實朝の歌の妙味の半面を知りて他の半面を知らざりし故に可有之候。
 眞淵は歌に就きては近世の達見家にて萬葉崇拜のところ抔當時に在りて實にえらいものに有之候へども生等の眼より見れば猶萬葉をも褒め足らぬ心地致候。眞淵が萬葉にも善き調あり惡き調ありといふことをいたく氣にして繰り返し申し候は世人が萬葉中の佶屈なる歌を取りて「これだから萬葉はだめだ」などゝ攻撃するを恐れたるかと相見え申候。固より眞淵自身もそれらを善き歌とは思はざりし故に弱みもいで候ひけん。併しながら世人が佶屈と申す萬葉の歌や眞淵が惡き調と申す萬葉の歌の中には生の最も好む歌も有之と存ぜられ候。そを如何にといふに他の人は言ふ迄も無く眞淵の歌にも生が好む所の萬葉調といふ者は一向に見當不申候。(尤も此邊の論は短歌に就きての論と御承知可被下候)眞淵の家集を見て眞淵は存外に萬葉の分らぬ人と呆れ申候。斯く申し候とて全く眞淵をけなす譯にては無之候。楫取魚彦は萬葉を模したる歌を多く詠みいでたれど猶これと思ふ者は極めて少く候。左程に古調は擬し難きにやと疑ひ居り候處近來生等の相知れる人の中に歌よみにはあらで却て古調を巧に模する人少からぬことを知り申候。是に由りて觀れば昔の歌よみの歌は今の歌よみならぬ人の歌よりも遙に劣り候やらんと心細く相成申候。さて今の歌よみの歌は昔の歌よみの歌よりも更に劣り候はんには如何申すべき。
 長歌のみは稍短歌と異なり申候。古今集の長歌などは箸にも棒にもかゝらず候へども箇樣な長歌は古今集時代にも後世にも餘り流行らざりしこそもつけの幸と存ぜられ候なれ。されば後世にても長歌を詠む者には直に萬葉を師とする者多く從つて…

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