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良友悪友
りょうゆうあくゆう
作品ID43553
著者久米 正雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 45 水上瀧太郎 豐島與志雄 久米正雄 小島政二郎 佐佐木茂索 集」 筑摩書房
1973(昭和48)8月30日
初出「文章世界」1919(大正8)年10月
入力者伊藤時也
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2006-10-18 / 2014-09-18
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「失恋が、失恋のまゝで尾を曳いてゐる中は、悲しくても、苦しくても、口惜しくつても、心に張りがあるからまだよかつた。が、かうして、忘れよう/\と努力して、それを忘れて了つたら、却つてどうにも出来ない空虚が、俺の心に出来て了つた。実際此の失恋でもない、況んや得恋でもない、謂はゞ無恋の心もちが、一番悲惨な心持なんだ。此の落寞たる心持が、俺には堪らなかつたんだ。そして今迄用ゐられてゐた酒も、失恋の忘却剤としては、稍々役立つには役立つたが、此の無恋の、此の落寞たる心もちを医すには、もう役立ちさうもなく見えて、何か変つた刺戟剤を、是非必要としてゐたんだ。そこへY氏やTがやつて来て、自分をあの遊蕩の世界へ導いて行つた。俺はほんとに求めてゐたものを、与へられた気がした。それで今度は此方から誘ふやうにして迄、転々として遊蕩生活に陥り込んで行つたんだ。失恋、――飲酒、――遊蕩。それは余りに教科書通りの径路ではあるが、教科書通りであればあるだけ、俺にとつても必然だつたんだ。況んや俺はそれを概念で、失恋をした上からには、是非ともさう云ふ径路を取らなければならぬやうに思つて、強ひてさうした訳では決してない。自分が茲まで流れて来るには、あの無恋の状態の、なま/\しい体験があつての事だ。……」
 私は其頃の出たらめな生活を、自分では常にかう弁護してゐた。そして当然起るであらう周囲の友だちの非難にも、かう云つて弁解するつもりでゐた。そしてそれでも自分の心持を汲んで呉れず、かうなる必然さを理解して呉れなければ、それは友だち甲斐のないものとして、手を別つより外に術はないと考へてゐた。併し、心の底では、誰でもが、自分の一枚看板の失恋を持ち出せば、黙つて許して呉れるだらうとの、虫のいゝ予期を持つてゐないではなかつた。そして其虫のよさを自分では卑しみ乍らも、其位の虫のよさなら、当然持つて然るべきものだと、自ら肯定しようとしてゐた。――初めは、世間の人々の嘲笑を慮つて、小さくなつて、自分の失恋を恥ぢ隠さうとしてゐたのが、世間の同情が、全く予期に反して、翕然として、自分の一身に集つて来るらしいのを見て取ると、急に大きくなつて、失恋をひけらかしたり、誇張して享楽したり、あまつさへ売物にしたりして殆んど厚顔無恥の限りを尽したが、世間もそれを黙つて許して呉れてゐるので、益々いゝ気になつて了ひ、いつでもそれを持出しさへすれば、許して呉れるものとの、虫のいゝ固定観念を作つて了つたのだつた。勿論一方ではさうした自身を、情なく思ひ乍らも。――で、自分では飽くまで今の生活を、許され得るものと、思ひ込んでゐたのだつた。周囲の友人たちも、もう許して呉れるに定つてゐるものとさへ、思ひ込んでゐたのだつた。
 或る正月初めの一日だつた。私は二日ほど家をあけた後で、夕方になつてから、ぼんやり家へ帰つた。云ふ迄もなく母は不機嫌だつた…

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